東京都調布・三鷹の新撰組観光地・ゆかりの地

西光寺(近藤勇が休息した寺)|三鷹・調布エリアの新撰組ゆかりの地観光スポット

更新日:

近藤勇座像(西光寺)

近藤勇座像(西光寺)

調布の西光寺(さいこうじ)は、甲陽鎮撫隊で近藤勇が甲州に向かう時、休息を取った寺です。
近藤勇の座像と案内板があり、当時の仁王門や常夜灯も残っています。
近藤勇の故郷の上石原宿にあり、大名格として訪れた近藤勇は故郷に錦を飾った形でした。
逸話として残るのは近藤勇だけですが、甲陽鎮撫隊に参加していた洋装姿の土方歳三や、斎藤一、永倉新八、原田左之助も来たと思われます(沖田総司は諸説あり)。
ここでは、調布の西光寺の見どころを紹介します。

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調布西光寺のアクセス・基本情報

調布西光寺のアクセス・基本情報

住所

調布市上石原1-28-3

アクセス

京王線西調布駅から徒歩4分

駐車場

あり

関連サイト

天台宗長谷山聖天院西光寺

調布西光寺の地図

調布西光寺と近藤勇の史跡

近藤勇の座像と案内板

近藤勇座像(西光寺)

近藤勇座像(西光寺)

西光寺の山門を入る手前の左側に、近藤勇の座像と案内板があります。
かなり大きな座像です。
近藤勇没後130周年の記念行事として建立されました。
調布市郷土博物館にこの座像の原型があります。

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西光寺に立ち寄った近藤勇と甲陽鎮撫隊

西光寺の近藤勇案内板

西光寺の近藤勇案内板

鳥羽伏見の戦いで敗戦し、軍艦で江戸に戻った後、近藤勇たちは勝海舟との話し合いをします。
ここで、「甲陽鎮撫隊」と名を変えて、甲州(山梨県甲府)の反乱や暴動を収める名目で甲州に向かうことになります。
新政府軍への恭順派の勝海舟が、武闘派の新選組を江戸から遠ざけたとも言われています。

近藤勇は「大久保大和」、土方歳三は「内藤隼人」と名を変えます。
そして、甲陽鎮撫隊を率いて旧甲州街道を西に向かいました。

近藤勇は、大名が乗る格式が高い駕籠、「長棒引戸」(長い棒がついて数人でかつぐ駕籠。入口はすだれではなく引き戸になっている形式)の駕籠に乗っていました。
土方歳三は断髪し、写真でよく知られる洋装姿で馬に乗っていました。

そして、近藤勇の故郷である上石原宿に差しかかり、この西光寺境内で休息しました。

近藤勇は上石原村に入ると、乗っていた駕籠を降り、氏神の上石原八幡神社を遥拝(遠くから拝むこと)します。
西光寺で休息し、西光寺向かいにあった名主の中村家で歓待も受け、村人に歓迎されながら、村境まで歩いたという伝承もあります。
大名格になった近藤勇が、故郷に錦を飾ったひとときでした。

この後甲陽鎮撫隊は甲州勝沼の戦いで敗れ、江戸に敗走。
近藤勇は西洋医学所で永倉新八や原田左之助と袂を分かち、足立区綾瀬から流山へと転陣。
流山で新政府軍に囲まれて出頭し、板橋で斬首となります。

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地元同好会による新撰組の掲示も

西光寺の掲示板

西光寺の掲示板。新選組関連の掲示がある

地元の新選組同好会による、辞世の句や曲中法度、新選組関連の行事予定が、銅像脇に掲示されていました。
新選組ファンの交流の場としても使われていることがうかがえました。

仁王門と梵鐘は近藤勇も通った市文化財

西光寺仁王門

西光寺仁王門

1740年に建造された仁王門は、近藤勇たち甲陽鎮撫隊が訪れた時もここにありました。
境内で休息したので、この仁王門もくぐったと思われます。

西光寺仁王門の案内板

西光寺仁王門の案内板

仁王門と梵鐘は、市指定文化財になっています。

甲陽鎮撫隊を見送った常夜灯

西光寺の常夜灯

西光寺の常夜灯

山門脇、近藤勇像に行く途中に常夜灯があります。
近隣の人々の夜の安全を守るために、夜灯されていた常夜灯。
甲陽鎮撫隊を見送った常夜灯も、当時のまま残っています。

調布西光寺の御朱印

西光寺の御朱印

西光寺の御朱印

御朱印は、本堂脇の庫裡(くり・お寺の事務所のようなもの)でいただきました。
チャイムを押して、出てきたご家族の方にお願いしました。

西光寺は「多摩川三十三観音霊場 三番札所」となっています。
御朱印を書く住職さんがご法事中だったので、御朱印はあらかじめ書かれたものをいただきました。
霊場用の御朱印帳に綴じるタイプのもので、ご詠歌(霊場巡りの札所になっているお寺にある独自の和歌。仏教の教えを和歌形式にしてある)も印刷してありました。

1/1~1/7限定で、調布七福神の大黒天の御朱印もあります。
大黒天はこの期間限定で御開帳されています。

こちらの「江戸・幕末・維新志士ゆかりの地でいただく御朱印ハンドブック」にも、西光寺の御朱印が載っていました。

調布西光寺のほかの見どころ

西南戦争で戦死した地元の人々の招魂碑

西光寺西南戦争の招魂碑

西光寺にある西南戦争の招魂碑

門前の近藤勇座像の左脇に、西南戦争で戦死した地元の人々の招魂碑があります。
近藤勇の座像とともに、武士の時代の終わりを感じ取れる場所です。

観音堂:観音三十三身像は毎月18日開帳

西光寺の観音堂

西光寺の観音堂

観音堂の木造観音三十三身像は、江戸中期の1698年に寄進されたもので、市指定文化財です。

木造観音三十三身像の案内板

木造観音三十三身像の案内板

普段は見られませんが、毎月18日の観音祈祷会や、8/10の四万六千日観音会正月7日までの護摩会に参加すると見ることができます。
8/10の四万六千日観音会には盆踊りもあり、参道にたくさんの地獄絵灯篭が並べられるお祭りになっています。

調布七福神の大黒天も観音堂にあります。
正月7日の七福神期間だけ見ることができます。

十一面観音

西光寺の十一面観音

西光寺の十一面観音

観音堂の前にあります。

本堂:胎蔵界大日如来像と紙本着仏涅槃図

紙本着仏涅槃図の案内板

紙本着仏涅槃図の案内板

本堂には胎蔵界大日如来像と紙本着仏涅槃図があり、市指定文化財となっています。
本堂で法事中だったので本堂前で参拝しました。

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調布西光寺の由来・歴史

西光寺の本堂

西光寺の本堂

室町時代の1396年に、西光寺の前身・「石原聖天坊」という寺が創建。
当初は真言宗の寺でした。
江戸幕府が開かれた後、甲州街道の上石原宿を維持するために、現在地に移転させられました。

1648年頃には、江戸幕府から寺領14石2斗の御朱印状(寺の領地を確定させるための公文書)をいただいています。
1660年代頃には、天台宗に宗派が改まりました。
幕末には近藤勇が立ち寄ります。

その後、明治12年の火事で、本堂や観音堂などの大部分が焼けてしまいました。
現在の本堂や観音堂は再建されたものですが、仏像(一部欠損して修復)や、入口付近の仁王門や常夜灯などは無事で、当時の面影を残しています。

調布西光寺周辺の新撰組観光スポット

上石原若宮八幡神社

近藤勇の生家の氏神。近藤勇が西光寺を訪れた時、門前から氏神の上石原若宮神社を遥拝(遠くから拝むこと)しています。

調布市郷土博物館

西光寺の近藤勇座像の原型があります。
2階には、近藤勇生家の復元模型があります。

布多天神社境内の近藤勇の孫の案内板

布多天神社の鳥居を入ってすぐ右手に、日露戦争の碑があります。
近藤勇の孫・久太郎が日露戦争で戦病死したため、この碑裏側上段真ん中あたりに名前が載っています。
そばの案内板に、この碑と近藤勇の関係が解説されています。

「上布田宿と近藤勇」案内板

近藤家に養子に行った後、近藤勇が病気で生家に戻ってきていたことがありました。
その時、この上布田宿(生家の上石原宿の隣の隣の宿場町)に滞在していた、伊東玄朴という蘭方医に近藤勇が診察を受けて全快したという案内板です。
案内板では触れられていませんが、上布田宿は、町田の出稽古先で麻疹を発症した沖田総司が、門人に運ばれてきた宿場でもあります。

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