新撰組メンバー別観光スポット・ゆかりの地

原田左之助ゆかりの地・観光スポット一覧|東京から日帰りの新選組スポット

更新日:

原田左之助ゆかりの地

新選組十番隊組長・原田左之助のゆかりの地を、東京から日帰りで行ける範囲でまとめました。

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千代田区の原田左之助ゆかりの地・観光スポット

秋月種樹邸跡|何もなし


鳥羽伏見の敗戦後、新選組が江戸で屯所にした、幕府若年寄の秋月種樹(あきづきたねたつ)の屋敷跡です。
原田左之助も1か月ほどいたと思われます。
ここを本拠に新選組は、寛永寺で謹慎する徳川慶喜の警護に交代で行っていました。
現在の東京三菱銀行本店の、入口のある南側にあたります。
案内板も何もありません。

住所

東京都千代田区丸の内2-7-1

アクセス

JR東京駅から徒歩2分

会津藩江戸上屋敷跡(和田倉噴水公園)|何もなし


会津藩上屋敷跡は、現在の和田倉噴水公園あたりにありました。
新選組を離脱した原田左之助・永倉新八が結成した靖兵隊が、会津藩邸に入り、フランス式の調練を行っています。
和田倉噴水公園は皇居外苑の一部で、自由に入園できます。

住所

東京都千代田区皇居外苑3-1

アクセス

メトロ東西線大手町駅から徒歩7分

公式サイト

和田倉噴水公園

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港区の原田左之助ゆかりの地・観光スポット

伊予松山藩中屋敷跡|何もなし


原田左之助が奉公していた伊予松山藩中屋敷の跡
安政元(1854)年頃、14歳から原田左之助はここで、目付方の小使(従卒)を勤めていました。
原田左之助がここで勤めている時、酒に酔って注意されて反抗したため、中間(ちゅうげん)部屋(奉公人にあてがわれる長屋)の土間で水を浴びせられて折檻されていた、という逸話が残っています。
また、目付の子供とよく遊んでやり、懐かれていた逸話や、その目付の子による「美男だった」という証言が残っています。

原田左之助は数年勤めた後、伊予松山に帰り、脱藩して大阪で槍術を学んだ後江戸に戻り、近藤勇と出会って試衛館に出入りするようになります。
現在はイタリア大使館などが建っています。


住所

東京都港区三田2-5-4、5、6

アクセス

都営大江戸線赤羽橋駅から徒歩9分

新宿区の原田左之助ゆかりの地・観光スポット

試衛館跡・試衛館稲荷|標柱と稲荷

近藤勇が開いていた試衛館の跡地で、標柱と稲荷神社が残っています。
原田左之助は、大阪の谷万太郎のところで槍術を学んだあと、江戸に戻って近藤勇と出会ったと考えられています。

住所

東京都新宿区市谷柳町25

アクセス

大江戸線牛込柳町駅から徒歩3分

関連サイト


日野市観光協会「試衛館」

四谷大木戸跡(内藤新宿関所跡)|碑のみ


鳥羽伏見の戦いの敗戦後、新選組が甲陽鎮撫隊となって山梨方面に出陣する時に通った関所の跡。
甲陽鎮撫隊の一員だった原田左之助も通りました。


住所

東京都新宿区四谷4-9-12

アクセス

丸の内線四谷3丁目駅から徒歩10分

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文京区の原田左之助ゆかりの地・観光スポット

伝通院(処静院跡)|御朱印あり


新撰組の前身、浪士組の結成された処静院は、伝通院の塔頭(伝通院の一部で境内の小さい寺)でした。
原田左之助も、この浪士組に参加して京に上りました。
伝通院門前に、処静院跡の案内板があります。


住所

東京都文京区小石川3丁目14-6

アクセス

メトロ南北線・丸の内線後楽園駅から徒歩10分

公式サイト

伝通院公式サイト

台東区の原田左之助ゆかりの地・観光スポット

西洋医学所跡|何もなし


原田左之助・永倉新八が、近藤勇と決別した場所です。
甲陽鎮撫隊が敗走した後、肩に負傷していた近藤勇がここで治療を受けました。
3月10日、隊士をまとめていた原田左之助と永倉新八が来て、会津に向かうよう近藤勇と土方歳三に最後の説得をしましたが、折り合わず新選組を脱退します。
今は案内板も何もありませんが、その北の交差点に、医学所の前身・種痘所を作った伊東玄朴住居跡(医学所の北にあった)の案内板があります。

住所

東京都台東区台東1-30

アクセス

JR/日比谷線秋葉原駅から徒歩8分

今戸神社|御朱印あり


甲陽鎮撫隊が敗戦した後の3月9日、江戸に戻った原田左之助と永倉新八は、この今戸神社境内に住んでいた松本良順の元へ来て、会津へ行く軍資金として「金300円」を借りています。
なお、今戸神社境内には「沖田総司終焉之地」の碑がありますが、実際には境内にあった松本良順宅で療養した後、2月末に千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅に移ったと考えられています。

住所

東京都台東区今戸1-5-22

アクセス

JR馬喰町駅・JR/都営浅草線浅草橋駅前・都営浅草線/都営大江戸線蔵前駅前・東武浅草駅前から「東42甲」系統バス南千住車庫前行き乗車、「浅草7丁目」バス停下車徒歩3分
JR亀戸駅から「上26」上野公園行きバス乗車、「隅田公園」バス停下車徒歩8分
東武浅草駅前から「東42乙」系統バス南千住車庫前行き乗車、「リバーサイドスポーツセンター前」バス停下車徒歩3分

関連サイト


今戸神社

寛永寺(大慈院跡)|御朱印あり

幕末の寛永寺は、現在の上野公園全域やその周辺もすべて境内とする大寺院でした。
現在の寛永寺のあたりに、「大慈院」という塔頭(たっちゅう・境内の小寺)がありました。
そこで、鳥羽伏見後の徳川慶喜が謹慎し、新選組が甲陽鎮撫隊となる前の2月、10日間ほど慶喜の警護をしています。
慶喜謹慎の葵の間は大正に再建されたもので、普段は非公開ですが、毎月1日に寛永寺のサイトで募集される「徳川将軍御霊廟特別公開」に申し込むと見学することができます。

のちに、上野公園全域を含む当時の寛永寺は、彰義隊と新政府軍の上野戦争の舞台になりました。
原田左之助は新選組を抜けた後、永倉新八と靖兵隊を作りますが、最終的にはそれも抜けて江戸に戻り、彰義隊に入って上野戦争で戦い、その時の傷が元で、運ばれた江東区の神保山城守邸で亡くなっています。
上野戦争の碑が、現在の寛永寺の境内に建てられています。

住所

東京都台東区上野桜木1-14-11

アクセス

JR鶯谷駅から徒歩10分

公式サイト


寛永寺

上野公園内・周辺の彰義隊ゆかりの地

現在の上野公園一帯は、幕末には寛永寺境内でした。
上野戦争で、原田左之助を含む彰義隊が幕府軍側の陣地として戦った場所です。
原田左之助がどのあたりで戦っていたかは明らかになっていません。
上野公園内とその周辺の、彰義隊や上野戦争にゆかりのある場所を紹介しておきます。

彰義隊の墓


西郷隆盛像の奥にあります。
彰義隊士の遺体は、寛永寺境内(現在の上野公園とその周辺)に放置されていましたが、現在の荒川区の円通寺の住職や、寛永寺の御用商人・三河屋幸三郎などが、この場所で遺体を集めて火葬しました。
遺骨は円通寺の彰義隊の墓に葬られました。

現在の上野公園の「彰義隊の墓」の大きな墓石の前に、小さな墓石がありますが、これは寒松院と護國院の住職が明治2年、犠牲になった彰義隊士の菩提を弔って墓石として地中に埋めたもので、施主名として小さく、「回向主 沙門松国」と刻まれています。
これは両寺院から一文字取って「松国」としたもので、明治政府を恐れて、匿名で弔ったということです。

この場所は上野戦争の時には砲台が置かれ、新政府軍と撃ち合っていました。

原田左之助は墓の場所が不明なので、墓参りをするなら遺骨の収められている可能性がある円通寺、またはここ上野公園の彰義隊の墓、そして板橋駅前の原田左之助の名も刻まれている慰霊碑になります。

住所

東京都台東区上野公園1-54

アクセス

京成線上野駅から徒歩2分
メトロ銀座線上野駅から徒歩3分
JR上野駅から徒歩4分

黒門跡(案内板・噴水・蜀山人の歌碑)


御徒町側から上野公園に入って、桜並木に入る手前の噴水あたりに、寛永寺の黒門がありました。
ちょうど地面の色が変わっているあたりです。
ここを守って彰義隊が戦い、上野戦争の激戦地になりました。
無数の弾痕を残した黒門は、荒川区の円通寺に移築されました。
現在は、桜並木に入る手前の左側に、黒門を詠んだ蜀山人の歌碑が建っています。
最近、黒門をイメージしたデザインの噴水のあたりにも黒門の案内板ができました。

住所

東京都台東区上野公園4

アクセス

京成線上野駅から徒歩1分
メトロ銀座線上野駅から徒歩2分
JR上野駅から徒歩4分

開山堂(両大師・輪王寺)|御朱印あり

寛永寺本坊表門(黒門とは別の門です)が移築されており、上野戦争当時の弾痕があります。

寛永寺は江戸時代、皇室から貫主を迎えており、この皇族が「輪王寺宮」でした。
幕末の最後の輪王寺宮・北白川宮能久親王(きたしらかわのみや よしひさしんのう)は、幕府側に立って上野戦争で擁立されます。
敗戦で逃げ延びた後は、幕府側の同盟「奥羽越列藩同盟」の盟主になります。
この時、奥羽越列藩同盟では輪王寺宮を「東武帝」として擁立していたという説もあります。

明治18年に「輪王寺宮の門跡寺院(もんせきじいん・皇族や公家が住職をつとめる寺のこと)」の称号を復活させる許可が出て、この場所が輪王寺とも呼ばれるようになります。

住所

東京都台東区上野公園14-5

アクセス

JR上野駅から徒歩8分

公式サイト


寛永寺開山堂両大師

寒松院|御朱印あり

この寒松院の住職と、次に述べる護國院の住職が、上野公園で戦死した彰義隊士たちの菩提をひそかに弔い、墓石を埋めました。
現在の上野公園の彰義隊士の墓の前の小さな墓石がそれです。

寒松院は、幕末には上野東照宮の北側、現在の上野動物園敷地から東京都美術館にかけてのあたりにありました。
寛永寺の子院であり、上野東照宮の別当寺(上野東照宮を管理する寺)でした。
彰義隊が本陣を置いています
上野戦争で寒松院も焼けてしまい、のちに移転再建、太平洋戦争で再び焼けて、現在地、開山堂北側に再建されました。

寒松院はご不在が多いのですが、タイミングが合えば御朱印をいただけるようです。

住所

東京都台東区上野公園15-11

アクセス

JR鶯谷駅から徒歩5分

公式サイト


寒松院

護國院(護國院大黒天)|御朱印あり

護國院も寛永寺の子寺で、当時は寛永寺境内にあり、寒松院とともに彰義隊士を弔いました。
寛永寺の子寺の中で珍しく、上野戦争で焼けなかった寺で、昭和2年に現在地に移転しています。

住所

東京都台東区上野公園10-18

アクセス

千代田線根津駅から徒歩8分

公式サイト


天台宗東京教区「護國院」

清水観音堂|御朱印あり

上野戦争でほとんどのお堂が焼けた中、清水観音堂は焼失しませんでした。
ただ新政府軍に接収された後放置された期間もあり、傷んでいたため、平成に解体修復工事をしています。
堂内に、上野戦争を描いた絵馬があります。
正面から入って振り返った天井側と、正面から見て右側の上の方です。

住所

京都台東区上野公園1-29

アクセス

京成上野駅から徒歩3分
JR上野駅から徒歩6分

公式サイト


清水観音堂
パゴダ(薬師如来)・上野大仏(釈迦如来)|御朱印あり

パゴダ自体は昭和に建造されたものですが、パゴダ内の薬師如来と左右の日光菩薩・月光菩薩は、幕末には上野東照宮内にあった薬師堂の本尊でした。
薬師如来と菩薩像は明治に寛永寺に移り、現在はパゴダ内の本尊になっています。

その外の顔だけの上野大仏は、珍しく上野戦争で焼けなかった大仏です。
すべてが焼けて野原になった上野公園に、大仏がポツンと座っている当時の写真が残されています。
が、関東大震災やその後の太平洋戦争の金属供出などで胴体などを失い、顔だけが残っています。

以前は御朱印は清水観音堂でいただいていましたが、2019年7月現在、10~15時にパゴダ手前の売店の建物でいただけます。

住所

東京都台東区上野公園4-8

アクセス

JR上野駅から徒歩5分
京成上野駅から徒歩6分

公式サイト


パゴダ(上野大仏)

不忍池辨天堂|御朱印あり

上野戦争では、不忍池の向こうに見える本郷台(現在の東大病院など付近)に、新政府軍の佐賀藩砲兵隊が布陣し、アームストロング砲を不忍池を越えて打ち込んできました。
このアームストロング砲の威力が勝敗を決定付けたと言われています。
また、上野戦争最後の穴稲荷門の戦いでは、新政府軍が境内に入ってきて、不忍池から穴稲荷(現在の花園稲荷)に大砲を撃ったと伝わります。

住所

東京都台東区上野公園2-1

アクセス

京成上野駅から徒歩5分
JR上野駅から徒歩6分

公式サイト


不忍池辨天堂

五條天神社|御朱印あり

五條天神社は室町時代から現在地付近にあったのですが、江戸時代には現在のアメ横入口あたりに移転していました。
そのため、上野戦争当時にはこの場所にはなかった神社です。
しかし、五條天神社の場所は、上野戦争最後の激戦「穴稲荷門の戦い」の舞台になった花園稲荷のすぐ隣で、このあたりも激戦地でした。

五條天神社の御朱印のほか、隣の花園稲荷神社の御朱印も、五條天神社の社務所でいただきます。

住所

東京都台東区上野公園4-17

アクセス

京成上野駅から徒歩4分
JR上野駅から徒歩9分

関連サイト


東京都神社庁「五條天神社」
花園稲荷神社|御朱印あり

拝殿を背にして進んで左側の目立たない場所に、元の社殿跡「穴稲荷(忍岡稲荷)」があります。
鳥居と扉があり、「御参拝の方は扉を開けてお進みください」となっています。

上野戦争では「穴稲荷門の戦い」という、彰義隊最後の激戦地となった場所です。
敗色濃厚になった彰義隊士がこの穴稲荷(当時)に立てこもり、新政府軍は不忍池から大砲を撃ったと伝わります。
この戦いで穴稲荷は焼け、明治に花園稲荷と名を変えて再建されています。

花園稲荷神社の御朱印は、隣の五條天神社の社務所でいただけます。

住所

東京都台東区上野公園4-59

アクセス

JR上野駅から徒歩4分
京成上野駅から徒歩9分

関連サイト


wikipedia「花園稲荷神社」

上野東照宮|御朱印あり


上野戦争で彰義隊が本営を置いていたのは、上野東照宮の隣に当時あった寒松院でした。
本陣に近かったにもかかわらず、焼けなかった社殿が、修復されて残っています。

住所

東京都台東区上野公園9-88

アクセス

JR上野駅から徒歩4分
京成上野駅から徒歩9分

公式サイト


上野東照宮

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墨田区の原田左之助ゆかりの地・観光スポット

霊山寺|御朱印あり


原田左之助と永倉新八は、新選組を脱退した後、靖共隊(靖兵隊とも)を作りました。
江戸城和田倉門内の旧会津藩邸で訓練していましたが、江戸城明け渡しが迫り、4月10日に幕臣たちが集まる市川国府台(鴻之台)に向かおうと出発、霊山寺に泊まりました。
しかし、隊内で対立が起きて、隊が二つに別れてしまいます。
このもめ事のためにこの寺で2泊し、原田左之助や永倉新八は4月12日に50人ほどを率いて出発します。
同じ日に国府台の幕臣たちは出発してしまっており、永倉新八が幕臣と合流できたのは、原田左之助が江戸に引き返した後の4月16日、現在の茨城県に入ってからでした。
現在の霊山寺建物はのちに建て直されたものです。

住所

東京都墨田区横川1-3-22

アクセス

JR亀戸駅から「草24系統」バス浅草寿町行き乗車、「横川橋」バス停下車徒歩1分
JR/半蔵門線錦糸町駅から「都02」系統バス大塚駅前行き乗車、「太平2丁目」バス停下車徒歩5分

関連サイト


浄土宗寺院紹介「霊山寺」

江東区の原田左之助ゆかりの地・観光スポット

大久保稲荷神社(大久保主膳正邸跡)


甲陽鎮撫隊が甲州勝沼の戦いで敗走し、八王子で解散した時、原田左之助と永倉新八が敗走した隊士を取りまとめ、ここにあった大久保主膳正(おおくぼしゅぜんのしょう)の屋敷を集合場所にしました。
原田左之助と永倉新八はここに集まった十数名の隊士をまとめ、西洋医学所の近藤勇に「すぐ会津に行こう」と進言しますが、物別れに終わって新選組を脱退します。
ここに集まっていた隊士ともども、その後は靖共隊(靖兵隊)となります。
屋敷の周囲にあった堀が埋められて、一部が五軒堀公園となり、屋敷の北端にあった屋敷神と思われるものが大久保稲荷神社として残っていますが、面影はあまりありません。

住所

東京都江東区森下2-31

アクセス

都営大江戸線森下駅から徒歩3分

冬木弁天堂|1/1~15のみ御朱印あり

冬木弁天堂の境内には、永倉新八と神道無念流で同門だった、芳賀宜道(はがよしみち)が住んでいました。
新選組を脱退した原田左之助と永倉新八は、冬木弁天堂を訪ね、ここで靖共隊(靖兵隊)を結成します。
芳賀宜道が隊長、永倉新八と原田左之助が副長でした。

普段は無人ですが、1/1~15の七福神期間だけ御朱印が受けられます。

住所

東京都江東区冬木22-31

アクセス

東西線門前仲町駅から徒歩10分
JR越中島駅から「門33系統」バス亀戸駅前行き乗車、「深川2丁目」バス停下車徒歩1分

公式サイト


深川七福神公式サイト「冬木弁天堂」

原田左之助最期の地(神保山城守邸跡)|何もなし


靖共隊(靖兵隊)を抜けて江戸に引き返した原田左之助は彰義隊に入り、上野戦争を戦いました。
5/15の上野戦争で銃創を負い、味方だった神保山城守邸に落ち延びましたが、傷が元で2日後の慶応4年5月17日に亡くなりました。
実は亡くなっておらず死んだことにして落ち延び、大陸に渡って満州で馬賊の頭目になった説もあります。

現在は住宅が立ち並び、案内板も何もありません。

住所

東京都江東区森下3-7、8、18、19

アクセス

都営大江戸線森下駅から徒歩6分

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品川区の原田左之助ゆかりの地・観光スポット

釜屋|案内板のみ


品川宿の釜屋は幕府御用達の宿・茶屋(休憩所)でした。
鳥羽伏見の戦いで敗戦して江戸に戻った後、新選組が一時この釜屋を屯所代わりに滞在しました。
原田左之助も滞在しています。

住所

東京都品川区南品川3-6-52

アクセス

京浜急行線青物横丁駅から徒歩2分

関連サイト

しながわ観光協会「釜屋跡」

北区の原田左之助ゆかりの地・観光スポット

近藤勇・永倉新八墓所


新選組隊士の慰霊碑に、原田左之助の名も刻まれています。
正面に「近藤勇宜昌 土方歳三義豊 之墓」と刻まれた慰霊碑ですが、原田左之助の名があるのは向かって右側面の一番上の段、右から2番目で、井上源三郎と山崎丞の名に挟まれています。
原田左之助は墓の場所がはっきりしないため、墓参りをするなら荒川区の円通寺の彰義隊の墓、上野公園の彰義隊の墓、もしくはこの板橋駅前の慰霊碑となります。
毎年4月25日かその直前の日曜には、近藤勇と新選組諸隊士の供養祭が行われます。


住所

東京都北区滝野川7丁目8−10

アクセス

JR板橋駅から徒歩3分
都営三田線新板橋駅から徒歩6分

関連サイト

「近藤勇と新選組隊士供養塔」北区飛鳥山博物館

寿徳寺|御朱印あり


板橋駅前の、原田左之助の名も刻まれている供養塔を管理し、法要を行っている寺です。


住所

東京都北区滝野川4-22-2

アクセス

都営三田線新板橋駅から徒歩11分
JR板橋駅から徒歩13分

公式サイト

寿徳寺公式サイト

荒川区の原田左之助ゆかりの地・観光スポット

円通寺|御朱印あり


彰義隊士の遺骨が収められた、「彰義隊士の墓」があります。
隣に幕府軍側の死者を弔った「死節之墓」があり、近藤勇や土方歳三の名も刻まれています。

原田左之助は彰義隊に入って亡くなりましたが、墓の場所が不明なため、墓参りをするならここ円通寺の彰義隊士の墓か、上野公園の彰義隊の墓、または原田左之助の名も刻まれた、板橋駅前の新選組諸隊士の慰霊碑になります。

上野戦争の舞台になった寛永寺の黒門が移設されていて、弾痕の激しさに激戦の様子がわかります。


住所

東京都荒川区南千住1-59-11

アクセス

都電荒川線三ノ輪橋駅から徒歩3分
JR南千住駅から徒歩8分

公式サイト


円通寺

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日野・立川の原田左之助ゆかりの地・観光スポット

日野宿本陣


甲陽鎮撫隊が山梨方面に出陣する時に立ち寄りました。
原田左之助も一緒に立ち寄っています。
原田左之助を含む隊士たちは「天下直参青だたき裏金輪抜けの陣笠揃い」(=将軍に拝謁できる旗本格の身分を示す、表が藍色で裏が金色の陣笠をそろってつけていた)と、佐藤彦五郎の談話をまとめた「聞き書き新選組」に書かれています。


休館日

毎週月曜日(祝日にあたる日はその翌平日)、年末年始(12月29日~1月3日)

開館時間

9時30分~17時00分(入館は16時30分まで)

住所

日野市日野本町2-15-9

アクセス

JR中央線日野駅から徒歩10分

公式サイト

日野宿本陣

日野宿交流館


1階の売店に、原田左之助のグッズもあります。


休館日

毎週月曜日(祝日にあたる日はその翌平日)、年末年始(12月29日~1月3日)

開館時間

9時00分~17時00分

住所

東京都日野市日野本町7丁目5番地6

アクセス

JR中央線日野駅から徒歩10分

公式サイト

日野宿交流館

新選組のふるさと歴史館


常設展にある浪士組の名簿に、原田左之助の名があります。


休館日

毎週月曜日、年末年始

開館時間

9:30~17:00(入館は16:30まで)

住所

東京都日野市神明4-16-1

アクセス

JR中央線日野駅から徒歩15分
または日野駅か高幡不動駅から京王バス
「02」系統、日野七小入口下車徒歩5分

公式サイト

新選組のふるさと歴史館

日野渡船場跡|案内板・碑


甲陽鎮撫隊が甲州街道を通って日野に入る時に、使った渡し場。
原田左之助もここを渡ったと思われます。


住所(日野側)

日野市日野1241-10付近

アクセス(日野側)

多摩モノレール線甲州街道駅から徒歩9分

住所(立川側)

立川市柴崎町5-20

アクセス(立川側)

多摩モノレール線柴崎体育館駅から徒歩5分

関連サイト

日野の渡し

高幡不動尊|御朱印あり


大日堂(拝観料200円)の鳴り龍を通り過ぎた先の順路を進むと、新選組諸隊士の大位牌があります。
ほかに単独で、近藤勇・土方歳三・井上源三郎・沖田総司の位牌もあります。


住所

日野市高幡733

アクセス

京王線高幡不動駅から徒歩3分
多摩モノレール線高幡不動駅から徒歩5分

御朱印

あり

公式サイト

高幡不動尊金剛寺

新選組グッズ池田屋


原田左之助グッズもたくさんあります。

営業日

木~日曜

営業時間

11時~17時

住所

東京都日野市高幡1-8 3F

アクセス

京王線高幡不動駅から徒歩3分
多摩モノレール線高幡不動駅から徒歩5分

関連サイト

新選組グッズ池田屋

調布市の原田左之助ゆかりの地・観光スポット

西光寺|御朱印あり


鳥羽伏見の敗戦後、甲陽鎮撫隊が甲州勝沼の戦いに向かう途中、境内で休憩しました。
原田左之助も立ち寄ったと思われます。


住所

調布市上石原1-28-3

アクセス

京王線西調布駅から徒歩4分

関連サイト

調布市観光協会「西光寺」

八王子市の原田左之助ゆかりの地・観光スポット

多賀神社|御朱印あり


甲陽鎮撫隊が甲州勝沼の戦いで敗戦し、敗走してこの多賀神社に来た隊士たちを、原田左之助と永倉新八が取りまとめ、現在の江東区にあった大久保主膳正(おおくぼしゅぜんのしょう)の屋敷での待ち合わせを決めて解散します。
そのまま戻らなかった隊士も多く、新選組解散の地として知られています。

住所

八王子市元本郷町4-9-21

アクセス

JR西八王子駅から徒歩13分
またはJR八王子駅北口から陣01系統「室生寺団地行」バス乗車、「水無瀬橋バス停」下車徒歩3分
JR八王子駅から市11系統「松枝住宅行」乗車、「市役所入口元本郷公園東バス停」下車徒歩4分

公式サイト

多賀神社

日枝神社|御朱印あり


司馬遼太郎の小説「燃えよ剣」に出てくる神社で、原田左之助のほか土方歳三、永倉新八、沖田総司、藤堂平助と比留間道場との立ち合いの舞台になっています。
原田左之助は「スタスタ坊主」と歌って敵を引き付ける囮役をし、その後の乱戦でも活躍しています。

住所

八王子市大和田町4-4-6

アクセス

JR八王子駅から日50系統バス「日野駅行」乗車、「石川入口」バス停下車徒歩2分
JR日野駅から日50系統バス「八王子駅北口行」乗車、「石川入口」バス停下車徒歩2分

関連サイト

日枝神社

小仏関所跡|碑と説明板、手形石のみ


甲陽鎮撫隊が小仏の関所を通って甲府へ行き、敗走して八王子に戻る時にも通りました。
原田左之助も永倉新八とともに、敗走する隊士を取りまとめようと馬で追いかけて通っています。
暗い道なので、女性は明るい時間帯に。

住所

東京都八王子市裏高尾町419

アクセス

JR高尾駅北口から「高尾01系統」バス小仏行乗車、「駒木野」バス停下車徒歩1分

関連サイト

小仏関所跡

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千葉県野田市の原田左之助ゆかりの地・観光スポット

山崎宿石碑|碑のみ


原田左之助は靖共隊(靖兵隊 )と、行徳宿から水戸街道を通って山崎宿に来ました。
慶応4年4月14日、ここで原田左之助は

無余儀用事コレアリ
「浪士文久報国記事」(永倉新八)

と、「やむを得ない用事がある」と永倉新八に言って、行徳宿に引き返します
ただちに追いかけてくる予定だったそうですが、官軍が街道を立て切って戻ってくることができず、上野戦争で原田左之助は討ち死にした、と永倉新八が記録を残しています。
山崎宿は、原田左之助と永倉新八の今生の別れの場で、原田左之助にとっての運命の分かれ道でした。
現在は、灯篭の形の山崎宿の碑がありますが、原田左之助や永倉新八に関する案内などはありません。


住所

野田市山崎1679-1付近

アクセス

東武アーバンパークライン梅郷駅から徒歩3分

関連サイト

山崎宿(野田市観光協会)

埼玉県本庄市の永倉新八ゆかりの地・観光スポット

田村本陣の門

浪士組が上京する時、原田左之助含めた浪士たちが泊まった本庄宿。
芹沢鴨が、近藤勇の手違いで自分に宿が割り当てられなかったことに怒り、野陣を敷くと言って大篝火を焚いたのが、田村本陣の門の前でした。
その田村本陣の門が、本庄市立歴史民族資料館の前に移築されています。
(芹沢鴨の騒ぎについては、近藤勇が宿割役になったのが本庄宿を過ぎた後で、実際にはなかったという説もあります)

住所

埼玉県本庄市中央1-1-13

アクセス

JR本庄駅から徒歩10分

関連サイト

本庄市観光協会「田村本陣の門」

神奈川県相模原市の原田左之助ゆかりの地・観光スポット

小原宿|本陣公開中


甲陽鎮撫隊が行き帰りに通った宿場で、原田左之助も通りました。
小原宿本陣は一般公開されていて、見学できます。

休館日

月曜(祝日の場合は翌平日)、年末年始

開館時間

9:30~16:00(入館は15:30まで)

住所

神奈川県相模原市緑区小原698-1

アクセス

JR相模湖駅から徒歩21分

関連サイト

相模湖観光協会「小原宿本陣」

与瀬宿|明治天皇与瀬御休止の碑のみ


甲陽鎮撫隊が行きに宿泊した宿場です。
原田左之助も泊まったと思われます。

住所

神奈川県相模原市緑区小原698-1

アクセス

JR相模湖駅から徒歩6分

吉野宿|碑、説明版のみ


甲陽鎮撫隊が行き帰りに通った宿場です。
敗走して江戸に戻る時、近藤勇と土方歳三は、地形が防戦に向いていることから、吉野宿にとどまって戦えと命じました。
しかし、近藤勇たちが甲州の戦いの時に来ると言った援軍が来なかったことから、敗走中の隊士たちは原田左之助や永倉新八、斎藤一に不満を述べて逃げてしまいます。
原田左之助は敗走する隊士を取りまとめるため、馬で永倉新八と追いかけましたが、結局八王子で解散になりました。

住所

神奈川県相模原市緑区吉野

アクセス

JR藤野駅から徒歩20分

吉野宿ふじや


当時の吉野宿の様子がわかる郷土資料館です。
当時の吉野宿の旅籠の雰囲気がわかる建物として残されています。

開館日

土日祝日(年末年始除く)

開館時間

10~16時

住所

神奈川県相模原市緑区吉野214

アクセス

JR藤野駅から徒歩20分

関連サイト

相模原市施設案内「吉野宿ふじや」

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