新撰組メンバー別観光スポット・ゆかりの地

永倉新八ゆかりの地・観光スポット一覧|東京から日帰りの新選組スポット

更新日:

永倉新八ゆかりの地

新選組二番隊組長、永倉新八のゆかりの地を、東京から日帰りで行ける範囲でまとめました。
永倉新八は江戸生まれで、育った場所や通った道場跡などのほか、新選組脱退後の靖共隊でのゆかりの地、戊辰戦争が終わって明治に、松前藩士に戻ってからのゆかりの地などがあります。

もくじ

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千代田区の永倉新八ゆかりの地・観光スポット

会津藩江戸上屋敷跡(和田倉噴水公園)|何もなし


永倉新八は原田左之助とともに新選組を脱退した後、靖共隊を作りました。
その靖共隊がフランス式の調練を行った場所です。
案内板も何もありませんが、今の和田倉噴水公園のあたりが跡地で、自由に入園できます。

住所

東京都千代田区皇居外苑3-1

アクセス

メトロ東西線大手町駅から徒歩7分

公式サイト

和田倉噴水公園

秋月種樹邸跡|何もなし


鳥羽伏見の敗戦後、品川の釜屋に宿泊したのち新選組が江戸で屯所にした、幕府若年寄の秋月種樹(あきづきたねたつ)の屋敷跡です。
永倉新八も1か月ほどいました。
ここを本拠に新選組は、寛永寺で謹慎する徳川慶喜の警護に交代で行っていました。
東京三菱銀行本店の、入口のある南側が跡地ですが、案内板も何もありません。

住所

東京都千代田区丸の内2-7-1

アクセス

JR東京駅から徒歩2分

撃剣館跡|何もなし


永倉新八が7歳から18歳まで神道無念流を習った、岡田十松の道場「撃剣館」の跡です。
永倉新八は師匠に自慢されるほど強くなり、この後剣術に傾倒して松前藩邸を出て、同じ流派の百合元昇三道場に住み込みます。
今は、お茶の水小学校近くのコンビニの向かい、駐車場などがある一角で、案内板も何もありません。

住所

千代田区神田小川町3-12-5

アクセス

都営新宿線神保町駅から徒歩4分
JR御茶ノ水駅から徒歩7分

坪内主馬道場跡|何もなし


永倉新八が21歳頃、市川宇八郎(のちに靖共隊を結成する芳賀宜道)との剣術修行の旅を終えて江戸に帰った後、師範代として務めていた心形刀流の坪内主馬(つぼうちしゅめ)道場跡です。
ここで師範代をしながら道場巡りをし、他道場の剣士と手合わせする中で、試衛館に出入りするようになって食客になったと言われています。
永倉新八が師範代になる4年前には、島田魁もこの道場に入門していました。

坪内主馬道場は、現在のKADOKAWA富士見ビルの隣から、小西内科などを含んだ角にあったと思われます。
案内板も何もありません。

住所

千代田区富士見2-13-14

アクセス

JR飯田橋駅から徒歩5分
東西線飯田橋駅から徒歩7分

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港区の永倉新八ゆかりの地・観光スポット

重箱(永倉新八が食べたうなぎ)


戊辰戦争後に芳賀宜道と米沢から江戸に戻った永倉新八が、下町の浅草に着いて「山谷の重箱でひさしぶりで江戸前のうなぎで腹をみたす」と「新選組顛末記」で語っています。
その山谷のうなぎ屋が、関東大震災で熱海に移転して、太平洋戦争後に赤坂に移転、高級料亭になりました。
下町と赤坂で雰囲気は変わりましたが、うなぎ中心のコースが食べられます。

定休日

日曜・祝日

営業時間

11:30~14:30
17:30~21:30

住所

東京都港区赤坂2-17-61

アクセス

千代田線赤坂駅から徒歩4分
銀座線溜池山王駅から徒歩9分

関連サイト

重箱(食べログ)

新宿区の永倉新八ゆかりの地・観光スポット

試衛館跡・試衛館稲荷|標柱と稲荷


近藤勇が開いていた試衛館の跡地で、標柱と稲荷神社が残っています。
永倉新八は、「撃剣館」「百合元昇三道場」などで神道無念流を学び、心形刀流の「坪内主馬道場」で師範代を勤めた後、近藤勇と知り合って食客になります。
試衛館に剣術道具を置いていたため、京に上った後、近藤勇の養父・近藤周助から他の天然理心流門人の分と一緒に送ってもらっています。

住所

東京都新宿区市谷柳町25

アクセス

大江戸線牛込柳町駅から徒歩3分

関連サイト


日野市観光協会「試衛館」

四谷大木戸跡(内藤新宿関所跡)|碑のみ


鳥羽伏見の敗戦後、甲陽鎮撫隊になった新選組が山梨方面に出陣する時に通った関所の跡。
甲陽鎮撫隊の一員だった永倉新八も通っています。


住所

東京都新宿区四谷4-9-12

アクセス

丸の内線四谷3丁目駅から徒歩10分

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文京区の永倉新八ゆかりの地・観光スポット

伝通院(処静院跡)|御朱印あり


新撰組の前身、浪士組の結成された処静院が、当時の伝通院境内にありました。
永倉新八も、ここでの結成集会に参加した後京に上りました。
伝通院門前に、処静院もあった碑と案内板があり、墓地の塀沿いに進んだ道の中ほどにも、処静院の場所について示した案内板があります。
当時より境内が狭くなったため、処静院があった場所は今は伝通院の外の住宅街になっています。


住所

東京都文京区小石川3丁目14-6

アクセス

メトロ南北線・丸の内線後楽園駅から徒歩10分

公式サイト

伝通院公式サイト

新福寺


元治元年、近藤勇が隊士募集に江戸に戻った時、幕府関係者や入隊希望者の応対のため、新福寺に滞在しました。
同行した永倉新八もともにこの寺に出入りしたと思われます


住所

東京都文京区白山3-1-23

アクセス

丸の内線茗荷谷駅から徒歩12分
三田線白山駅から徒歩12分

永倉新八居住地(現・セブンイレブン)|何もなし


永倉新八が明治24(1891)年11月から明治25(1892)年2月までの3か月ほど、52歳の時に、妻のよね、長男の義太郎、姪(次女という説も)のゆきとともに住んでいた場所です。
現在はセブンイレブンなどが入ったビルになっています。
目の前の白山通りは、浪士組が上洛する時に通った道でした。

住所

文京区小石川1-28-1

アクセス

三田線春日駅から徒歩7分
大江戸線春日駅から徒歩10分

永倉新八居住地(現・ジョナサン・バーミヤンなど)|何もなし


永倉新八が、明治25(1892)年2月から明治28(1895)年5月まで、53歳から57歳までの3年ほど、妻のよね、長男の義太郎、姪(次女という説も)のゆきとともに住んでいた場所です。
目の前の白山通りは、浪士組が上洛する時に通った道でした。

ここに住んでいた明治27(1894)年、55歳の時に日清戦争が起き、永倉新八は抜刀隊に入って出征しようとします。
「お気持ちだけ」と断られて、「元新選組の手を借りたとなっては、薩摩の面目まるつぶれというわけかい」と笑ったと伝わります。

住所

文京区小石川1-17

アクセス

三田線春日駅から徒歩7分
大江戸線春日駅から徒歩9分

ジョナサン小石川柳町店

永倉新八居住地跡に建つビルで営業しているファミリーレストラン。

定休日

なし

営業時間

7:00~翌日2:00

住所

東京都文京区小石川1-17-1 エルアージュ小石川 2F

アクセス

三田線春日駅から徒歩7分
大江戸線春日駅から徒歩9分

関連サイト

ジョナサン小石川柳町店(食べログ)
ジョナサン小石川柳町店(ぐるなび)

バーミヤン小石川柳町店

永倉新八居住地跡に建つビルで営業している中華のファミリーレストラン。

定休日

なし

営業時間

10:00〜24:00

住所

東京都文京区小石川1-17-1 エルアージュ小石川

アクセス

三田線春日駅から徒歩7分
大江戸線春日駅から徒歩9分

関連サイト

バーミヤン小石川柳町店(食べログ)
バーミヤン小石川柳町店(ぐるなび)

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台東区の永倉新八ゆかりの地・観光スポット

松前藩邸跡(永倉新八生誕地)|何もなし


永倉新八が生まれた、松前藩邸があった場所。
永倉新八はここにあった藩士が住まう長屋で、松前藩江戸定府(えどじょうふ・江戸常勤で国元に帰らない藩士のこと)の長倉蔵吉と利恵の次男として生まれ、18歳まで住みました。
また、戊辰戦争が終わった明治元年12月、松前藩に帰参し、ここの藩士が住まう長屋にふたたび住みました。
元新選組隊士で御陵衛士の鈴木三樹三郎(伊東甲子太郎の実弟)が、伊東甲子太郎の仇として永倉新八を狙ってこの藩邸周辺に現れ、永倉新八は家老に匿われたという逸話もあります。
廃校になった小島小学校の校舎を再利用した勤労者サービスセンターから、北の春日通りにかけての一帯が松前藩邸でした。

住所

台東区小島2-18一帯+小島2-9の北側

アクセス

つくばエクスプレス新御徒町駅から徒歩3分
大江戸線新御徒町駅から徒歩4分

西洋医学所跡|何もなし


甲陽鎮撫隊の敗走後、近藤勇が西洋医学所で手当を受けており、土方歳三も来ていました。
そこに、不満を持つ隊士の意見をまとめた永倉新八と原田左之助が来て、すぐ会津へ向かうよう最後の説得をします。
しかし折り合わず、2人は新選組を脱退します。
西洋医学所は、永倉新八・原田左之助組と近藤勇・土方歳三組の別れの地となりました。

今は案内板も何もありませんが、その北の交差点に、医学所の前身・種痘所を作った伊東玄朴住居跡(医学所の北にあった)の案内板があります。

住所

東京都台東区台東1-30

アクセス

JR/日比谷線秋葉原駅から徒歩8分

宝蔵院


永倉新八生家の長倉家の菩提寺でしたが、一族の移転に伴い、昭和59年に長倉家の墓は岡山に移転しました。
永倉新八存命時は菩提寺で一族の墓があったので、墓参りに来たと思われます。
また、明治になって婿養子に入った杉村家の菩提寺もこの宝蔵院でした。
義母にあたる杉村美佐子を宝蔵院に葬った時の、「施主 杉村義衛(永倉新八が明治に名乗った名)」という過去帳の記録があります。
この時も宝蔵院に来ています。

住所

台東区清川1-3

アクセス

JR浅草橋駅前から「東42甲系統」バス南千住駅西口行乗車、「東浅草」バス停下車徒歩2分
JR亀戸駅から「里22系統」バス日暮里駅行乗車、「清川」バス停下車徒歩8分

今戸神社|御朱印あり


今戸神社境内には、松本良順が一時住んでいました。
甲陽鎮撫隊の敗戦後の慶応4年3月9日、永倉新八と原田左之助は松本良順の住む今戸神社を訪ね、近藤勇に対して隊士が腹を立てている事情などを話し、会津に行く軍資金として「金300円」を借りています。

今戸神社が沖田総司最期の地という説があったため、境内に「沖田総司終焉之地」碑が建っています。
沖田総司は一時、今戸神社境内の松本良順宅で療養していましたが、2月末に千駄ヶ谷の植木屋に移っていて、そちらが最期の地とされています。

住所

東京都台東区今戸1-5-22

アクセス

JR馬喰町駅・JR/都営浅草線浅草橋駅前・都営浅草線/都営大江戸線蔵前駅前・東武浅草駅前から「東42甲」系統バス南千住車庫前行き乗車、「浅草7丁目」バス停下車徒歩3分
JR亀戸駅から「上26」上野公園行きバス乗車、「隅田公園」バス停下車徒歩8分
東武浅草駅前から「東42乙」系統バス南千住車庫前行き乗車、「リバーサイドスポーツセンター前」バス停下車徒歩3分

関連サイト


今戸神社

寛永寺(大慈院跡)|御朱印あり

幕末の寛永寺は大寺院で、現在の上野公園全域やその周辺もすべて境内でした。
現在の寛永寺のあたりに、「大慈院」という塔頭(たっちゅう・境内の小寺)がありました。
そこの葵の間で、鳥羽伏見後の徳川慶喜が謹慎し、新選組が甲陽鎮撫隊となる前、10日間ほど慶喜の警護をしています。
慶喜謹慎の葵の間は大正に再建されたもので、普段は非公開ですが、毎月1日に寛永寺のサイトで募集される「徳川将軍御霊廟特別公開」に申し込むと見学することができます。

住所

東京都台東区上野桜木1-14-11

アクセス

JR鶯谷駅から徒歩10分

公式サイト


寛永寺

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墨田区の永倉新八ゆかりの地・観光スポット

霊山寺|御朱印あり


永倉新八は、原田左之助と一緒に新選組を脱退して靖共隊を作り、慶応4年4月10日、幕臣たちと合流するために会津藩邸から出発して霊山寺に泊まっています。
この寺で、靖共隊内での対立があり、隊が別れます。
2泊して、自分たちに従う50人ほどを連れて出発しますが、市川に集まっていた幕臣たちは既に出発していて、追いついたのは原田左之助とも別れ、現在の茨城県に入った4月16日でした。
現在の霊山寺の建物は後で建て直されたものです。

住所

東京都墨田区横川1-3-22

アクセス

JR亀戸駅から「草24系統」バス浅草寿町行き乗車、「横川橋」バス停下車徒歩1分
JR/半蔵門線錦糸町駅から「都02」系統バス大塚駅前行き乗車、「太平2丁目」バス停下車徒歩5分

関連サイト


浄土宗寺院紹介「霊山寺」

百合元昇三道場跡|何もなし


永倉新八が18歳で生まれた松前藩邸を出た後、3年ほど住み込んで修行した百合元昇三の道場跡です。
脱藩したので、ここで本名の「長倉新八」を「永倉新八」に変えました。
新選組隊士ではほかに、野口健司がこの道場で学んでいます。
江戸切絵図で見つけられなかったため、正確な位置ははっきりしませんが、百合元昇三の道場は墨田区両国3-22の区画内に建っていたことがわかっています。
両国3-22は「横綱横丁」の隣で、やよい軒などが建ち並び、「芥川龍之介生育の地」の案内板がある区画ですが、裏路地の「おきな」という店周辺の住所が書かれている本もあります。
道場に関する案内板はありません。

住所

墨田区両国3-22

アクセス

JR両国駅から徒歩1分

旧両国橋・広小路跡案内板|案内板のみ


今の両国橋より下流、明治30年以前の両国橋があった場所です。
永倉新八は戊辰戦争が終わって、明治元年12月に松前藩邸に戻り、藩士用の長屋に暮らしました。
休みの日に両国橋を渡った時、元新選組隊士で御陵衛士の鈴木三樹三郎とすれ違います。
今どこにいるか聞かれて、松前藩に帰参したことを答え、会釈してすれ違いましたが、三樹三郎は振り返ってじっと見ていたといいます。
鈴木三樹三郎は伊東甲子太郎の実弟で、兄の仇として新選組幹部を憎んでいました。
そのため、数日後に仲間を連れて、松前藩邸付近に鈴木三樹三郎が現れ、永倉新八は松前藩家老の自宅に匿われたという逸話が「新選組顛末記」に残されています。

また、永倉新八が会津戦争で米沢に援軍を呼びに行った時に親しくなった雲井龍雄という米沢藩士がいました。
「徳川の遺臣をまとめて薩長の遺臣と最後の決戦をやろう」と約束して別れましたが、その雲井龍雄が政府転覆疑惑で斬首されたという高札を、永倉新八はこの両国橋のたもとで明治3年に見ました。
衝撃を受けて小塚原の刑場に走り、雲井龍雄の首級を見て血涙を流して慟哭したと「新撰組顛末記」で語っています。

住所

墨田区両国1-11

アクセス

JR両国駅から徒歩6分

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江東区の永倉新八ゆかりの地・観光スポット

大久保稲荷神社(大久保主膳正邸跡)


甲陽鎮撫隊が甲州勝沼の戦いで敗走し、八王子で解散した時、永倉新八と原田左之助が敗走した隊士を取りまとめ、ここにあった大久保主膳正(おおくぼしゅぜんのしょう)の屋敷を集合場所にしました。
永倉新八と原田左之助はここに集まった十数名の隊士をまとめ、西洋医学所の近藤勇に「すぐ会津に行こう」と進言しますが、物別れに終わって新選組を脱退します。
ここに集まっていた隊士ともども、その後は靖共隊(靖兵隊)となります。
屋敷の周囲にあった堀が埋められて、一部が五軒堀公園となり、屋敷の北端にあった屋敷神と思われるものが大久保稲荷神社として残っていますが、面影はあまりありません。

住所

東京都江東区森下2-31

アクセス

都営大江戸線森下駅から徒歩3分

冬木弁天堂|1/1~15のみ御朱印あり

冬木弁天堂の境内には、永倉新八と神道無念流で同門で、一緒に剣術修行の旅をしたこともある、芳賀宜道(はがよしみち)が住んでいました。
新選組を脱退した永倉新八と原田左之助は、冬木弁天堂を訪ね、ここで靖共隊(靖兵隊)を結成します。
芳賀宜道が隊長、永倉新八と原田左之助が副長でした。
戊辰戦争終了後、江戸に戻った芳賀宜道は、新政府側についた妻の兄と口論してその部下に冬木弁天堂境内で殺されます。

普段は無人ですが、1/1~15の七福神期間だけ御朱印が受けられます。

住所

東京都江東区冬木22-31

アクセス

東西線門前仲町駅から徒歩10分
JR越中島駅から「門33系統」バス亀戸駅前行き乗車、「深川2丁目」バス停下車徒歩1分

公式サイト


深川七福神公式サイト「冬木弁天堂」

品川区の永倉新八ゆかりの地・観光スポット

釜屋|案内板のみ


品川宿の釜屋は、元は立場茶屋(たてばちゃや・休息や食事のための茶屋)で、のちに宿泊できるように改装されて「本陣」などと呼ばれ、幕府関係者が休憩や宿泊をしていました。
新選組は鳥羽伏見の戦いで敗戦し江戸に戻った後、秋月種樹邸に移るまでの間、屯所代わりに使いました。この時、永倉新八も滞在しています。

住所

東京都品川区南品川3-6-52

アクセス

京浜急行線青物横丁駅から徒歩2分

関連サイト

しながわ観光協会「釜屋跡」

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北区の永倉新八ゆかりの地・観光スポット

近藤勇・永倉新八墓所


近藤勇と土方歳三の名が刻まれた墓所の脇に、「永倉新八の墓」があります。
北海道の墓から分骨されたものです。
関東で永倉新八の墓参りをしたい時は、ここに来ることになります。
永倉新八は明治に入ってから、近藤勇最期の地に近いここに、新選組隊士の慰霊碑を建てるために奔走しました。
近藤勇と土方歳三の名が正面に刻まれた慰霊碑の裏側に、「發起人 杉村義衛」(明治に入ってからの名・一部劣化で読めない)と刻まれています。


住所

東京都北区滝野川7丁目8−10

アクセス

JR板橋駅から徒歩3分
都営三田線新板橋駅から徒歩6分

関連サイト

「近藤勇と新選組隊士供養塔」北区飛鳥山博物館

寿徳寺|御朱印あり


板橋駅前の永倉新八の墓や新選組隊士の慰霊碑を管理し、法要を行っている寺です。


住所

東京都北区滝野川4-22-2

アクセス

都営三田線新板橋駅から徒歩11分
JR板橋駅から徒歩13分

公式サイト

寿徳寺公式サイト

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荒川区の永倉新八ゆかりの地・観光スポット

延命寺|御朱印あり


小塚原刑場跡に建つ寺で、永倉新八が友の雲井龍雄の首級に会いに来た場所です。
永倉新八が戊辰戦争で、米沢に援軍を呼びに行った時、親しくなった雲井龍雄という米沢藩士がいました。
「徳川の遺臣をまとめて薩長の遺臣と最後の決戦をやろう」と約束して別れましたが、明治3年、雲井龍雄が政府転覆を企んで斬首になったという高札を見て、驚いて首級が晒される小塚原刑場に走ります。
この刑場で友の首級と再会し、血涙を流して慟哭したと「新選組顛末記」で語っています。


住所

荒川区南千住2-34-5

アクセス

JR/日比谷線南千住駅から徒歩3分

関連サイト

荒川区公式サイト「延命寺」

小塚原回向院|御朱印あり


小塚原回向院も、小塚原刑場跡地に建つ寺です。
小塚原刑場の跡地が常磐線に分断され、北側が回向院、南側が延命寺になりました。
刑が執行されていたのは延命寺の方で、小塚原回向院の場所には当時から、死者の供養や埋葬のためのお堂がありました。
永倉新八の友、雲井龍雄(米沢藩士)が延命寺のあたりで斬首になった後、この小塚原回向院に埋葬されました。
墓は史跡エリアの墓所の右側に進んで、左手中ほどです。
のちに頭骨だけが谷中天王寺墓地に移され、その後故郷の米沢の常安寺に改葬されました。
体の方の骨はまだこの墓にあると思われます。

また、新選組隊士・横倉甚五郎が、坂本龍馬暗殺容疑で獄中死した後、いったん埋葬された場所でもあります。
横倉甚五郎は、のちに八王子の大法寺まや霊園に改葬され、現在の墓はそちらにあります。

ここには罪人の遺体で日本刀の試し斬りをする「おためし場」もありました。
また、杉田玄白たちの「解体新書」のための腑分けが行われたという碑があります。


住所

東京都荒川区南千住5-33-13

アクセス

JR/日比谷線南千住駅から徒歩3分

関連サイト

荒川区公式サイト「小塚原回向院」

東京都日野市の永倉新八ゆかりの地・観光スポット

日野宿本陣


新選組が甲陽鎮撫隊となって山梨の方に出陣する時、立ち寄っています。
永倉新八たち隊士は、将軍に拝謁できる旗本格の身分を示す、表が藍色、裏が金の陣笠をそろってつけていたそう。


休館日

毎週月曜日(祝日にあたる日はその翌平日)、年末年始(12月29日~1月3日)

開館時間

9時30分~17時00分(入館は16時30分まで)

住所

日野市日野本町2-15-9

アクセス

JR中央線日野駅から徒歩10分

公式サイト

日野宿本陣

日野宿交流館


1階の売店に、永倉新八のグッズもあります。


休館日

毎週月曜日(祝日にあたる日はその翌平日)、年末年始(12月29日~1月3日)

開館時間

9時00分~17時00分

住所

東京都日野市日野本町7丁目5番地6

アクセス

JR中央線日野駅から徒歩10分

公式サイト

日野宿交流館

新選組のふるさと歴史館


常設展にある浪士組の名簿に、永倉新八の名があります。(企画展の時は展示されていない場合もあります)


休館日

毎週月曜日、年末年始

開館時間

9:30~17:00(入館は16:30まで)

住所

東京都日野市神明4-16-1

アクセス

JR中央線日野駅から徒歩15分
または日野駅か高幡不動駅から京王バス
「02」系統、日野七小入口下車徒歩5分

公式サイト

新選組のふるさと歴史館

佐藤彦五郎資料館|御朱印あり


永倉新八が明治になって佐藤彦五郎に送った、「近藤勇の首を探しに京に行く」という手紙が展示されています。
明治になっても近藤勇の首が見つかっていなかったことがわかります。


開館日

原則、第1・3日曜日

開館時間

11:00〜16:00

住所

日野市日野本町2丁目15-5

アクセス

JR中央線日野駅から徒歩8分

御朱印

あり

公式サイト

佐藤彦五郎新選組資料館

井上源三郎資料館


井上源三郎の兄・松五郎が上洛した時の日記が展示されていて、「近藤勇が天狗になった」ことを永倉新八たちに相談されたことが書かれています。
この「天狗」は増長というより、芹沢鴨に影響されて「水戸天狗党」のような思想に染まりつつある、という意味とも言われています。


開館日

第1・第3日曜日

開館時間

12:00~16:00

住所

日野市日野本町4丁目1−12

アクセス

JR中央線日野駅から徒歩5分

公式サイト

井上源三郎資料館

日野渡船場跡|案内板・碑


甲陽鎮撫隊が甲州街道を通って日野に入る時に、使った渡し場。
永倉新八もここを渡りました


住所(日野側)

日野市日野1241-10付近

アクセス(日野側)

多摩モノレール線甲州街道駅から徒歩9分

住所(立川側)

立川市柴崎町5-20

アクセス(立川側)

多摩モノレール線柴崎体育館駅から徒歩5分

関連サイト

日野の渡し

高幡不動尊|御朱印あり


大日堂(拝観料200円)の鳴り龍を通り過ぎた先の順路を進むと、新選組諸隊士の大位牌があります。
ほかに単独で、近藤勇・土方歳三・井上源三郎・沖田総司の位牌もあります。


住所

日野市高幡733

アクセス

京王線高幡不動駅から徒歩3分
多摩モノレール線高幡不動駅から徒歩5分

御朱印

あり

公式サイト

高幡不動尊金剛寺

新選組グッズ池田屋


永倉新八グッズもたくさんあります。

営業日

木~日曜

営業時間

11時~17時

住所

東京都日野市高幡1-8 3F

アクセス

京王線高幡不動駅から徒歩3分
多摩モノレール線高幡不動駅から徒歩5分

関連サイト

新選組グッズ池田屋

東京都調布市の永倉新八ゆかりの地・観光スポット

西光寺|御朱印あり


鳥羽伏見の敗戦後、甲陽鎮撫隊が甲州勝沼の戦いに向かう途中、境内で休憩しました。
永倉新八も立ち寄っています。


住所

調布市上石原1-28-3

アクセス

京王線西調布駅から徒歩4分

関連サイト

調布市観光協会「西光寺」

東京都八王子市の永倉新八ゆかりの地・観光スポット

多賀神社|御朱印あり


甲陽鎮撫隊が甲州勝沼の戦いで敗戦した時、敗走してこの多賀神社に来た隊士たちを、永倉新八と原田左之助が取りまとめ、現在の江東区にあった大久保主膳正(おおくぼしゅぜんのしょう)の屋敷での待ち合わせを決めて解散します。
「新選組解散の地」として知られています。

住所

八王子市元本郷町4-9-21

アクセス

JR西八王子駅から徒歩13分
またはJR八王子駅北口から陣01系統「室生寺団地行」バス乗車、「水無瀬橋バス停」下車徒歩3分
JR八王子駅から市11系統「松枝住宅行」乗車、「市役所入口元本郷公園東バス停」下車徒歩4分

公式サイト

多賀神社

日枝神社|御朱印あり


司馬遼太郎の小説「燃えよ剣」に出てくる神社で、永倉新八のほか土方歳三、原田左之助、沖田総司、藤堂平助と比留間道場との立ち合いの舞台になっています。
永倉新八は敵が土方歳三と原田左之助に引き付けられている間に、忍び寄って敵を討つ役割を沖田総司と藤堂平助とともに担っています。
永倉新八は往来の東から忍び寄り、六人を殴って昏倒させています。

住所

八王子市大和田町4-4-6

アクセス

JR八王子駅から日50系統バス「日野駅行」乗車、「石川入口」バス停下車徒歩2分
JR日野駅から日50系統バス「八王子駅北口行」乗車、「石川入口」バス停下車徒歩2分

関連サイト

日枝神社

小仏関所跡|碑と説明板、手形石のみ


甲陽鎮撫隊が甲府への行き帰りに通りました。
帰り道では、永倉新八は原田左之助とともに、敗走する隊士を取りまとめようと馬で追いかけて通りましたが、結局まとめきれず、八王子で解散になりました。
暗い道なので、明るい時間帯に。

住所

東京都八王子市裏高尾町419

アクセス

JR高尾駅北口から「高尾01系統」バス小仏行乗車、「駒木野」バス停下車徒歩1分

関連サイト

小仏関所跡

千葉県野田市の永倉新八ゆかりの地・観光スポット

山崎宿石碑|碑のみ


永倉新八は新選組脱退後、靖共隊(靖兵隊 )と、行徳宿から水戸街道を通って山崎宿に来ました。
慶応4年4月14日、一緒に靖共隊にいた原田左之助が

無余儀用事コレアリ
「浪士文久報国記事」(永倉新八)

と、「やむを得ない用事がある」と永倉新八に言って、行徳宿に引き返します
ただちに追いかけてくる予定だったそうですが、官軍が街道を立て切って戻ってくることができず、上野戦争で原田左之助は討ち死にした、と永倉新八が記録を残しています。
山崎宿は、永倉新八と原田左之助の今生の別れの場になりました。
現在は、灯篭の形の山崎宿の碑がありますが、靖共隊に関する案内などはありません。


住所

野田市山崎1679-1付近

アクセス

東武アーバンパークライン梅郷駅から徒歩3分

関連サイト

山崎宿(野田市観光協会)

埼玉県本庄市の永倉新八ゆかりの地・観光スポット

田村本陣の門


浪士組が上京する時、永倉新八含め浪士たちは本庄宿に泊まりました。
芹沢鴨が、近藤勇の手違いで自分に宿が割り当てられなかったことに怒り、野陣を敷くと言って大篝火を焚いたのが、田村本陣の門の前でした。
その田村本陣の門が、本庄市立歴史民族資料館の前に移築されています。
(芹沢鴨の騒ぎについては、近藤勇が宿割役になったのが本庄宿を過ぎた後で、実際にはなかったという説もあります)

住所

埼玉県本庄市中央1-1-13

アクセス

JR本庄駅から徒歩10分

関連サイト

本庄市観光協会「田村本陣の門」

神奈川県相模原市の永倉新八ゆかりの地・観光スポット

小原宿|本陣公開中


甲陽鎮撫隊が行き帰りに通った宿場で、永倉新八も通りました。
小原宿本陣は一般公開されていて、見学できます。

休館日

月曜(祝日の場合は翌平日)、年末年始

開館時間

9:30~16:00(入館は15:30まで)

住所

神奈川県相模原市緑区小原698-1

アクセス

JR相模湖駅から徒歩21分

関連サイト

相模湖観光協会「小原宿本陣」

与瀬宿|明治天皇与瀬御休止の碑のみ


甲陽鎮撫隊が行きに泊まった宿場です。
永倉新八も泊まったと思われます。

住所

神奈川県相模原市緑区小原698-1

アクセス

JR相模湖駅から徒歩6分

吉野宿|碑、説明版のみ


甲陽鎮撫隊が行き帰りに通った宿場です。
敗走して江戸に戻る時、近藤勇と土方歳三は、地形が防戦に向いていることから、吉野宿にとどまって戦えと命じました。
しかし、隊士たちは近藤勇が甲州の戦いの時に来ると言った援軍が来なかったことで不信を抱いていました。
そのため、永倉新八や原田左之助、斎藤一たちにその不満を伝えて逃げてしまいます。
永倉新八は敗走する隊士を取りまとめるため、馬で原田左之助と追いかけましたが、結局八王子で解散になりました。

住所

神奈川県相模原市緑区吉野

アクセス

JR藤野駅から徒歩20分

吉野宿ふじや


当時の吉野宿の様子がわかる郷土資料館です。
当時の吉野宿の旅籠の雰囲気がわかる建物として残されています。

開館日

土日祝日(年末年始除く)

開館時間

10~16時

住所

神奈川県相模原市緑区吉野214

アクセス

JR藤野駅から徒歩20分

関連サイト

相模原市施設案内「吉野宿ふじや」

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