東京都文京区の新撰組観光地・ゆかりの地

新福寺(近藤勇・土方歳三たちが滞在)|東京都文京区の新選組ゆかりの地・観光スポット

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小石川の新福寺

小石川の新福寺(近藤勇、土方歳三たちが滞在)

小石川の新福寺は、近藤勇や土方歳三が隊士募集で江戸に来た時、一時滞在した場所です。
近藤勇が新福寺住職の代わりに頼まれて書いた手紙が、届け先の東本願寺に残っています。
近藤勇に同行した永倉新八や武田観柳斎、土方歳三に同行した井上源三郎たちも出入りしたと思われます。
この記事では、新福寺と新選組の関わりや、現在の新福寺を紹介します。

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新福寺のアクセス・基本情報

新福寺のアクセス・基本情報

住所

東京都文京区白山3-1-23

アクセス

丸の内線茗荷谷駅から徒歩12分
三田線白山駅から徒歩12分
南北線後楽園駅・三田線春日駅下車、「春日駅前」バス停から「上60系統」大塚駅前行バス乗車、「白山2丁目」バス停下車徒歩2分

駐車場

檀家専用のみ
周辺コインパーキング
コインパーク茗荷谷など

新福寺の地図

新選組と新福寺

近藤勇や土方歳三も滞在した新福寺

近藤勇や土方歳三も滞在した新福寺

元治元年、近藤勇は京から江戸に戻り、将軍家茂の上洛を要請し、隊士募集を行いました。
この時、幕府関係者の応接や入隊希望者の対応のため、近藤勇は新福寺に滞在しています。
同行者は永倉新八、武田観柳斎、尾形俊太郎らでした。

その後、慶応3年、土方歳三が江戸に隊士募集に来て、やはり新福寺に滞在したと推定されています。
同行者は井上源三郎です。
この時、新福寺住職の祐泰に、本山(宗派の長)である京の東本願寺への伝言を頼まれたと考えられ、帰京後、その件で近藤勇が東本願寺に手紙を書いています。

近藤勇が東本願寺に書いた手紙の内容は、新福寺の住職が梵字と袈裟を用いる願い出のため上京すべきところ、病気で上京できないため、代わりに許可を願うものでした。
手紙の冒頭で近藤勇は、
「下拙江府表寓住新福寺儀、毎々御厚情ニ相成、万々奉謝候」
つまり
私は江戸表で新福寺に一時滞在したことがあり、いつも親切にしてもらい、大変感謝している」
と、自分と新福寺の関わりを説明しています。
(寓住=一時的に住まう、一時的に身を寄せる)

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近藤勇や土方歳三が滞在した新福寺の境内

幕末当時の新福寺

幕末の新福寺は現在より広かったようですが、同じ場所にありました。
北側の「小石川御薬園」が、現在の小石川植物園です。
南西の方には、新選組隊士・田村銀之助の墓がある智光寺や、近藤勇が訪れた山岡鉄舟宅、南東の方には浪士組結成の伝通院・処静院が見えます。

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現在の新福寺

新福寺の門

新福寺の門

門には扁額がかかっています。

新福寺山門の扁額

新福寺山門の扁額

寺には「山号」と「院号」と「寺名」があり、寺名「新福寺」の院号が上の扁額にある「礫川院」です。

本堂

新福寺の本堂

新福寺の本堂

本堂の扁額がこちら。

新福寺の扁額

新福寺の扁額

寺には「山号」と「院号」と「寺名」があり、寺名「新福寺」の山号がこの扁額に書かれた「日日山」です。
正式名称は「日日山礫川院新福寺」です。

鐘楼

新福寺の鐘楼

新福寺の鐘楼

新福寺の鐘は「時の鐘」として、江戸の町に時刻を知らせていました。

新福寺の鐘楼の案内板

新福寺の鐘楼の案内板「鐘撞料割付覚」

時の鐘を聞く料金を周辺の住民に分担させた時

の書類、江戸中期の「鐘撞料割付覚(かねつきりょうわりつけおぼえ)」が、文京区の文化財に指定されています。

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新福寺に御朱印はなし

お寺の方に尋ねたところ、新福寺では御朱印は行っていないそうです。

新福寺と夏目漱石

夏目漱石が寄宿した新福寺

夏目漱石が寄宿した新福寺

夏目漱石は明治16(1883)年、16歳の時、大学予備門(のちの第一高等学校、現代の東京大学教養学部)の受験に備えて英語を学ぶため、成立学舎(予備校のようなもの)に入ります。
その間、この新福寺2階に友人5人とともに下宿していました。
新福寺の門前に来る屋台の汁粉屋の汁粉を毎晩食べたと、随筆「満韓ところどころ 13」で書いています。
小説「琴のそら音」でも、新福寺の「時の鐘」に触れています。

新福寺の歴史

新福寺は浄土真宗大谷派の寺院で、京の東本願寺の末寺でした。
鎌倉時代に、茨城県結城市にあった結城城の稱名寺内に、出家した城主の弟が創建します。
その後、一度伝通院の南に移転し、貞享2(1685)年または寛文8(1668)年(2説あり)、現在地に移転しました。

新福寺周辺の新選組ゆかりの地・観光スポット

智光寺

12歳で入隊して箱館戦争まで付き従った新選組隊士・田村銀之助の墓があります。

山岡鉄舟・高橋泥舟宅跡|案内板のみ

浪士組結成前に近藤勇が訪れたことがある、山岡鉄舟の屋敷跡です。
高橋泥舟と隣り合って住んでいましたが、現在は案内板だけです。
浪士組を結成した清河八郎も、京から戻ってから暗殺されるまで山岡鉄舟宅に住んでいました。

伝通院・処静院

浪士組が結成された処静院(廃寺)は、伝通院の塔頭(境内の小寺)でした。
現在、伝通院の門前に処静院にあった石柱があり、案内板があります。

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