東京都調布・三鷹の新撰組観光地・ゆかりの地

近藤勇生家跡・近藤神社・發雲館(はつうんかん)|調布・三鷹エリアの新撰組ゆかりの地観光スポット

更新日:

近藤勇産湯の井戸(生家跡)

近藤勇産湯の井戸(生家跡)。右側の祠が近藤神社。

近藤勇生家跡は、調布市と三鷹市の市境付近にあります。
生家自体は取り壊され、産湯の井戸と案内板が残っています。
すぐ隣に近藤勇を祀った近藤神社があり、向かいには娘婿(跡取り)の開いた天然理心流道場・發雲館(はつうんかん)があります。
ここでは、近藤勇生家跡とその周辺を紹介します。

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近藤勇生家跡・近藤神社・發雲館のアクセス・基本情報

近藤勇生家跡・近藤神社・發雲館のアクセス・基本情報

住所

調布市野水1-6-8

アクセス

三鷹駅から鷹52系統「榊原記念病院行き」または「朝日町三丁目行き」「車返団地行き」バス乗車、「野川公園入口」バス停下車で徒歩1分

駐車場

なし
周辺の駐車場
野川公園駐車場1時間300円

関連サイト

調布市公式サイト「近藤勇の史跡と野川公園」

近藤勇生家跡・近藤神社・發雲館の地図

近藤勇生家跡と産湯の井戸

現在の近藤勇生家跡と産湯の井戸

現在の近藤勇生家跡

現在の近藤勇生家跡。母屋のあったあたりは住宅街に

近藤勇の生家は取り壊されたため、現在残っているのは案内板と、生家の一部だった産湯の井戸です。その右に、昭和に作られた近藤神社があります。

近藤勇生誕当時は、産湯の井戸の向こう側に納屋がありました。
そして、井戸の左手に母屋、その向こうに蔵座敷や文庫蔵、納屋、築山や庭があったようです。
現在、母屋から庭にかけてのあたりは住宅街になり、家が建ち並んでいます。

現在は狭い範囲しか残されていませんが、近藤勇が生まれた頃、宮川家の屋敷は2120坪(7000平方メートル)もありました。
7000平方メートルというと、現代で言えばテニスコート(シングル・約200平方メートル)を35面並べたくらいの広さですね。広い!
近藤勇生家の復元模型が、調布市郷土博物館に展示されています。

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「近藤勇」が生まれるまで

宮川家に生まれた宮川勝五郎(近藤勇)

近藤勇生家取り壊し前の写真(案内板より)

近藤勇生家取り壊し前の写真(案内板より)

「近藤勇」は、近藤家に養子に入って以降の名前です。
近藤勇は、この生家跡にあった「宮川家」に、三男の「宮川勝五郎」として1834年に生まれました。
暮らし向きは中流の上層にあたり、比較的裕福な家庭でした。
父の宮川久次郎、母のみよ、姉1人、兄2人と、祖父と一緒にここに住んでいました。
父の久次郎が軍書好きで、関羽や義経などの武功談を語り聞かせました。
その影響で武芸に親しんでおり、いつ頃か不明ですが、父親の留守に生家に侵入した賊を追い払った武勇伝も伝わっています。

天然理心流に入門した宮川勝五郎が近藤勇になるまで

近藤勇生家跡案内板

近藤勇生家跡案内板

15歳で天然理心流に正式入門しました。
翌年にはもう天然理心流の「目録」(現代で言えば段位のようなもの。6段階あるうちの2段階目)を取ります。
そして、その年のうちに16歳で、近藤周助の実家の養子になっています。
これは、近藤勇が賊を追い払った武勇伝を近藤周助が耳にしたのがきっかけとも言われています。
近藤周助の旧姓が嶋崎だったので、近藤勇はこの時から「嶋崎勝太」となります。
その後「嶋崎勇」と名乗り、正式に近藤家の跡取りとして近藤周助の養子になって「近藤勇」になります。
近藤勇は28歳で天然理心流4代目を襲名し、30歳で浪士組に加わって京に行き、35歳で亡くなります。

近藤勇の生家の取り壊し

近藤勇生家の案内板

近藤勇生家の案内板

近藤勇の生家・宮川家は、昭和18年に取り壊されてしまいます。
昭和16年に、生家の南に調布飛行場ができたのですが、その年から太平洋戦争が始まりました。
調布飛行場も陸軍の飛行訓練などに使われ、やがて帝都の防空拠点として重視されるようになります。
昭和18年1月、宮川家は調布飛行場本部に呼び出されます。
戦闘機が接触する恐れがあるので、屋敷を取り壊すようにという通達でした。
これを受け、昭和18年の3月には近藤勇の生家は取り壊され、庭の木も伐採されてしまいました。
調布飛行場にはその後、戦闘機が配備され、アメリカのB-29と戦ったりしています。
時代は太平洋戦争末期へと進んでいきました。

昭和52年に、近藤勇の生家跡は調布市の史跡に指定されています。

近藤神社

近藤神社

近藤神社。産湯の井戸のすぐ右。

産湯の井戸のすぐ右に近藤神社があります。
祭神は近藤勇。
昭和に、東京一円の軍人が近藤勇を祀って建てた神社です。
近藤神社のさらに右にももう少し大きめの神社がありますが、そちらは近藤神社ではないので気を付けてください。

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發雲館(はつうんかん)|天然理心流道場

發雲館(はつうんかん)の創設

發雲館

發雲館(はつうんかん)。近藤勇生家向かいの天然理心流道場。

明治9年、近藤勇の甥(長兄の子)・勇五郎が、近藤勇の一人娘・たまと結婚して婿養子となり、天然理心流5代目を継ぎます。
その勇五郎が開いたのが、この發雲館(はつうんかん)。
發雲館という名前は、暗雲を取り除くという意味で、山岡鉄舟がつけました。

昭和50年代まで使われた發雲館(はつうんかん)

發雲館案内板

發雲館の案内板

太平洋戦争が始まって、近藤勇の生家が取り壊される時、門人たちがこの發雲館を別の場所に移築しました。
戦後、人見街道の拡張でまた移転が必要になり、現在の近藤勇生家跡向かいに移築しています。
昭和50年代までこの建物で稽古が続けられていました。

個人の住宅の敷地内なので、門前の案内板と、門の外から外観を眺めるだけです。
住人の方にご迷惑をかけないように静かに見ましょう。

近藤勇生家・近藤神社・發雲館周辺の新撰組ゆかりの観光スポット

龍源寺(近藤勇の墓)

近藤勇や、妻・つね、發雲館を開いた勇五郎と近藤勇の娘・たま、近藤勇の孫の久太郎の墓があります。
近藤勇の従弟の新選組隊士・宮川信吉の墓も、近藤家の墓の近くにあります。

相曽浦橋(あいそうらばし)

近藤勇が幼い頃から遊んだ野川にかかる橋。
人見街道を運ばれてきた近藤勇の遺体を、親族や親しい人々が、相曽浦橋で出迎えたと伝わります。
また、遺体を洗ったとも言われます。

調布市郷土博物館

近藤勇の生家の復元模型が2階に展示されています。
近藤勇の座像もあります。

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