東京都日野・立川の新撰組観光地・ゆかりの地

日野渡船場跡(試衛館メンバーが使用)|案内板・碑のみ|日野・立川の新撰組ゆかりの観光スポット

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日野の渡しがあった立日橋から対岸の立川市を眺める

新撰組メンバーも眺めて渡ったはずの多摩川(日野側)

日野渡船場跡は、試衛館メンバーが日野に出稽古に来る時に使っていた渡し舟場の跡です。
対岸は立川市で、現在の立日橋のそば。日野側には案内板だけが残っています。
新撰組メンバーも眺めて渡っただろう多摩川の景色を見ながら橋を渡ることもできます。
ここでは、日野渡船場跡を紹介します。

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日野渡船場跡のアクセス・基本情報

日野渡船場跡のアクセス・基本情報

住所(日野側)

日野市日野1241-10付近

アクセス(日野側)

多摩モノレール線甲州街道駅から徒歩9分

住所(立川側)

立川市柴崎町5-20

アクセス(立川側)

多摩モノレール線柴崎体育館駅から徒歩5分

駐車場

なし
周辺コインパーキング
タイムズ日野第二
タイムズ立川柴崎

関連サイト

日野の渡し

日野渡船場跡の地図

新撰組メンバーが日野に出稽古に来る時に通る甲州街道の日野渡船場跡

日野渡船場跡

日野渡船場跡(日野側)。現在は案内板のみ。

試衛館の近藤勇、土方歳三、沖田総司、山南敬助、井上源三郎などの試衛館メンバーは、たびたび日野の佐藤道場に出稽古に来ています。
当時、江戸と日野の行き来には、甲州街道を通り、この渡船場で渡し舟に乗って多摩川を渡りました。
そんな、試衛館メンバーがたびたび使った渡船場跡です。

日野側の日野渡船場

日野渡船場跡当時の図

日野渡船場跡当時の図

現地には渡船場があったという案内板がありますが、新撰組メンバーについては触れられていません。
案内板には当時の図もあり、雰囲気を想像できます。

日野渡船場跡

日野渡船場跡付近(日野側)の景色

立川側の日野の渡し跡

日野の渡し跡(立川側)の碑立川側の日野渡し場跡の碑日野の渡し場石碑
対岸は立川市です。
立川市側は少し内陸に入ったところに、渡し船の形の碑があります。

立川側から対岸の日野渡し付近をのぞむ

立川側から対岸の日野渡し付近をのぞむ

橋を歩いて渡って対岸の碑まで、トータル10分ほど。
「ここを試衛館時代の新撰組メンバーが渡った」と想像しながら多摩川を眺めて渡るのも、気持ちがいいですよ。

多摩モノレール線から日野渡船場跡を見るなら

日野の渡し跡は多摩モノレール線立日橋の下

日野の渡し跡は多摩モノレール線立日橋すぐそば

日野渡船場があったのは、現在の立日橋付近
車や人用の橋がかかり、その上空を多摩モノレール線が通っています。
日野渡船場跡に来る時間がない方は、多摩モノレールからちらっと景色を見ることもできます。
多摩モノレール線柴崎体育館駅と、甲州街道駅の間の、多摩川にかかる橋です。
立川から日野方面に進んでいるなら、進行方向に向かって左。
日野から立川方面に進んでいるなら、進行方向に向かって右です。

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江戸との行き来に使われた日野渡船場跡

日野渡船場跡の写真

日野渡船場跡の写真(日野側)

江戸時代初期には、江戸と日野の行き来は、もっと南の万願寺の渡し(対岸:国立市)が使われていました。
が、低地を通っていて多摩川の氾濫もあったため、1684年に、日野の渡し場が公式な渡し場となりました。
日野宿が日野の渡し場の通行料などを管理していました。
大正15年、日野橋ができるまでこの渡し場は使われていました。

公式な渡し場でなくなった万願寺の渡しも、国立方面へ行く地元の人などにその後も利用されました。
土方歳三が、石田村から谷保(国立)の親類の本田家に手習いに行く時には、万願寺の渡しを使っています。

日野渡船場跡周辺の新撰組ゆかりの観光スポット

土方歳三資料館|第1・3日曜

多摩モノレール線で甲州街道駅から万願寺駅まで1駅です。
土方歳三が12歳の時にここに生家が移転しました。
土方歳三が相撲の張り手をした大黒柱が梁に使われ、和泉守兼定の拵えほか、さまざまな土方歳三ゆかりの品が展示されています。

とうかん森

多摩モノレール線で甲州街道駅から万願寺駅まで1駅です。
土方歳三生誕地近くのとうかん森。
稲荷神社が返納され、今後市の公園になるので、現在の姿を見たい方はお早めに。

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