長流寺(ちょうりゅうじ)は流山市の浄土宗の寺で、「近藤勇忌」の会場になっています。
確実ではありませんが、新選組隊士の分宿先の一つではという説もあります。
ここでは、流山の長流寺を紹介します。
流山市長流寺のアクセス・基本情報
流山市長流寺のアクセス・基本情報
住所 | 流山市流山6-677 |
アクセス | 流鉄流山線平和台駅から徒歩8分 |
駐車場 | あり |
関連サイト | 長流寺(流山市観光協会) |
流山市長流寺の地図
流山市長流寺と新選組
長流寺で行われている近藤勇忌
近藤勇の命日が近い4月に、近藤勇忌の法要が長流寺で行われています。
近藤勇忌については、ネット上で情報が錯綜する場合があるので、必ず主催している「新選組友の会」の公式サイトで確認してください。
法要の後に別会場で、講演会も行われています。
新選組隊士の分宿先と長流寺
新選組は流山に入った後、現在「近藤勇陣屋跡」となっている場所の長岡屋に本陣を置きました。
そして、入りきれない隊士をそこより南の方に分宿させました。
「恩田家文書」という、1.5キロ離れた思井(おもい)村の名主が残した当時の日記に、
「江戸方歩兵380人から390人あまりは、去る1日より2日にかけて流山の光明院・流山寺そのほかを借りて止宿(ししゅく)していた」
という内容が書かれています。
この「そのほか」に当たる候補が、同じ赤城山周辺エリアにある長流寺ということです。
光明院や流山寺のような確実な記録があるわけではありませんが、近藤勇忌というご縁もあり、見ておきたいお寺です。
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流山市長流寺の御朱印
寺務所で玄関チャイムを押して、出てきたお寺の方にお願いしていただきました。
御本尊・阿弥陀如来の御朱印
本尊の阿弥陀如来の御朱印です。
流山七福神恵比寿の御朱印
今回いただきませんでしたが、通年あるようです。
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流山市長流寺の他の見どころ
本堂
火事で焼け、元治元年(1864) に再建された本堂。
新選組が流山に来る4年前に再建された建物ですね。
六地蔵と馬頭観音像
本堂に向かう参道脇に、六地蔵があります。
六地蔵の左端、石の祠の中に馬の顔が見えるのは、1607年に建立された(新選組が来た年の261年前からずっとあった)馬頭観音像です。
馬頭観音像は憤怒の表情で災厄を退散させるものが多く、このような優しい表情の馬頭観音像は珍しいものとなっています。
馬頭観音は、馬の病気平癒や旅の安全祈願、馬の供養の意味で建てられることが多かった観音様。
流山近辺は馬の産地で、徳川幕府直轄の広大な放牧場もあり、馬との関係が深かったことがうかがえます。
大銀杏
流山市の保存樹木に指定されています。
正確な樹齢の情報がないのですが、当時からあってもおかしくない大木ですね。
恵比寿像
流山七福神の一つの恵比寿像。
恵比寿像の御利益は商売繁盛・除災招福・五穀豊穣・大漁追福と言われています。
流山市長流寺の歴史
江戸時代初期に創建され、400年の歴史のあるお寺です。
慶長12(1607)年に馬頭観音が造られ、江戸時代中期に観音堂が造られました。
天保7(1836)年、火事で全焼します。
元治元(1864)年、新選組が流山に来る4年前に再建されています。
流山市長流寺周辺の新選組ゆかりの観光スポット
光明院|御朱印あり
恩田家文書で、隊士が分宿していると記録が残っているお寺。
流山寺|御朱印あり
こちらも恩田家文書で、隊士が分宿していると記録が残っているお寺。
丹後の渡し跡|標柱のみ
新選組が、五兵衛新田(足立区綾瀬)から流山に渡ってくる時に使った渡し場の跡。