千葉県流山・野田の新撰組観光地・ゆかりの地

流山市立博物館(田中藩下屋敷跡)|流山市の新選組ゆかりの地観光スポット

更新日:

流山市立博物館

流山市立博物館。新選組関連の展示もある

流山市立博物館は、近藤勇陣屋跡からも近く、新選組関連の展示がある観光スポット。
近藤勇たちも昇り降りしたかもしれない、当時の新選組本陣にあった階段や、流山での新選組について詳しい展示があります。
元・田中藩下屋敷があった場所に建っていて、この田中藩下屋敷に関しても、新選組との逸話があります。
ここでは流山市立博物館の見どころを紹介します。

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流山市立博物館(田中藩下屋敷跡)のアクセス・基本情報

流山市立博物館(田中藩下屋敷跡)のアクセス・基本情報

定休日

月曜(祝日の場合は直後の平日)、館内整理日(土日を除く月の末日)、年末年始(12/28~1/4)

開館時間

9:30~17:00

入館料

無料

住所

流山市加一丁目1225-6

アクセス

流鉄流山線流山駅から徒歩7分

駐車場

あり

公式サイト

流山市立博物館

流山市立博物館(田中藩下屋敷跡)の地図

流山市立博物館の新選組展示

流山市立博物館ロビーの案内

流山市立博物館ロビーの案内

流山市立博物館には、展示室に入ってすぐ「新選組流山に入る」の展示があります。
途中にあった、新選組関連の解説の印刷物も「ご自由にお持ちください」となっていたので、もらってくるといいですよ。

近藤勇本陣・永岡三郎兵衛屋敷の当時の階段

近藤勇が本陣に使い、土方歳三も滞在した、永岡三郎兵衛屋敷(通称長岡屋)。
今の近藤勇本陣跡にあった、当時使われていた階段が展示されています。
現在の本陣跡には当時の建物はないので、貴重な遺物です。
近藤勇や土方歳三も昇り降りしたかもしれませんね。

「新選組流山に入る」の展示

流山新選組マップ

当時の動き。写真は近藤勇本陣跡のもの

新選組がどこから流山に入り、どのように新政府軍が侵攻したか、地図付きで詳しく解説されています。
展示室内は写真撮影できなかったので、上の写真は近藤勇本陣跡にあったものですが、もっと詳しく解説してあります。
上の図で「田中陣屋」と書いてあるのが、現在流山市立博物館がある場所です。

恩田家文書

流山村から1.5キロ離れた村の名主・恩田家に残された日記が展示されています。

4月1日から2日にかけて、江戸から歩兵380人以上が流山に来たこと。
大将は「大久保大和」(甲陽鎮撫隊以降、近藤勇が名乗っていた名前)、「内藤隼人」(甲陽鎮撫隊以降、土方歳三が名乗っていた名前)だったこと。
長岡家に本陣を置いたこと。
光明寺や流山寺に分宿したこと。
4月3日、官軍方が浅間(せんげん)神社裏に、菊の紋付の旗をおし立てて本陣にしたこと。
官軍方が包囲して攻撃し、江戸方(近藤勇たち)が降参したこと。
近在の者があわてて騒いだこと。
などが書かれていて、貴重な資料になっています。

昔の筆文字が読めなくても、よく見れば「大久保大和」「内藤隼人」くらいは見つけられたので、見てみるといいですよ。

吉野家文書

恩田家があった思井村からさらに離れた、芝崎村の名主の吉野家に残された文書が展示されています。

陸軍奉行頭が支配する歩兵が、4月2日に五兵衛新田から移ってきたこと。
官軍が3日夕方にやってきて、大砲が2発撃たれたこと。
幕軍側は5、6発砲火を放ち、近くの商人たちが大騒ぎしたこと。
などが書かれています。

新選組隊士・中島登の戦友姿絵

中島登は、箱館戦争まで戦った新選組隊士で、流山にも来ています。
明治になってから、「戦友姿絵」として、新選組隊士の肖像を浮世絵風の絵に残しました。
中島登が描いた、近藤勇と土方歳三の姿絵が展示されていました。

ロビーにはフォトスポットも

流山市立博物館ロビーのフォトスポット

流山市立博物館ロビーのフォトスポット

ロビーは写真撮影可で、顔を出して撮影する新選組のパネルなどがありました。
新選組関連の本も充実していました。

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新選組と流山の歴史

こちらの記事で詳しく書いています。

田中藩下屋敷跡の場所に建つ流山市立博物館

流山市立博物館

流山市立博物館。田中藩下屋敷跡にある

12歳の新選組隊士・田村銀之助が語った田中藩下屋敷乗っ取り計画

流山の、現在市立博物館と図書館が建っている高台には、田中藩本多家の下屋敷があり、田中陣屋と呼ばれていました。
当時、下総(千葉県)には田中藩の飛び地領があり、田中藩下屋敷は戊辰戦争の5年前にここに移転してきています。

当時12歳の新選組隊士・田村銀之助が、明治になってから「史談会速記録」で
「此所に田中の陣屋と云ふのがありまして、詰り此陣屋を乗り取る計画で
と、田中藩下屋敷乗っ取り計画について語っています。

ただ、新選組がそのようなことをする理由がないことから、この証言は歴史家からは疑問視されています。
むしろ、田中藩の佐幕派と協力できないかと考えていたという説も。

田中藩の戊辰戦争での立ち位置

田中藩は現在の静岡県藤枝市に藩庁があった藩です。
現代の流山や野田から市川の周囲に、1万5千石の飛び地領を持っていました。

慶応4年2月、新選組が鳥羽伏見の敗戦から江戸に帰り、近藤勇が横浜で手当を受けていた頃、田中藩の藩庁(藤枝市)は、官軍側に服従を示します。
「小松原家文書」(水運を担当していた問屋が残した文書)によると、4月、粕壁宿(かすかべじゅく・現在の埼玉県春日部市)にいた新政府軍に、田中藩の陣屋(下屋敷)の者から「300名の歩兵隊が流山村にいる」と知らせがあって、そのために新政府軍が流山に行くことになっています。

下総(千葉県)の飛び地領の田中藩藩士は佐幕派の人もいて、脱藩して彰義隊と連絡を取って戦った人たちもいたのですが…
田中藩は、一枚岩ではなかったということですね。

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流山市立博物館のそのほかの展示

流山市立博物館の新選組蔵書

流山市立博物館の新選組蔵書。隅に近藤勇の陶器も

新選組以外にも流山の歴史が展示されています。
古代の遺跡の出土品から、利根川の水運や江戸時代の記録、近代になってからの鉄道や軍、みりん産業など、無料の展示にしてはかなり見ごたえがあります。

流山市立博物館周辺の新選組ゆかりの観光スポット

近藤勇陣屋跡

近藤勇が本陣を置いた長岡屋(永岡三郎兵衛宅)の跡。
土台石や碑、ちょっとした展示があります。

流山浅間神社

新政府軍が裏手に本陣を置いて、菊のご紋の旗を立てた浅間神社。
新選組の本陣からすぐ近くなので、歩いてみるだけで、どのくらい近くまで来て包囲されたのか体感できます。

流山市役所付近(何もなし)

新選組が演習をしたという飛地山の跡。
一時新選組の新兵が新政府軍に発砲しました。
今は市役所が建っていて、案内板も何もありません。

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