千葉県流山・野田の新撰組観光地・ゆかりの地

流山浅間神社(新政府軍本陣裏)|流山市の新選組ゆかりの地観光スポット

更新日:

流山浅間神社

流山浅間神社。この裏手に新政府軍が本陣を置いた。

流山浅間神社は、流山に来た新政府軍がこの裏手に本陣を置き、菊のご紋の旗を立て、大砲を設置した神社。
近藤勇本陣跡から歩いてすぐの場所です。
ここでは、流山浅間神社を紹介します。

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流山浅間神社のアクセス・基本情報

流山浅間神社のアクセス・基本情報

住所

流山市流山1-153

アクセス

流鉄流山線流山駅から徒歩5分

駐車場

なし
ナビパーク流山第2など(30分100円)

関連サイト

流山市観光協会「浅間神社」

流山浅間神社の地図

流山浅間神社の裏手が新選組を攻めた新政府軍の本陣

菊のご紋の旗が立った流山浅間神社裏

流山浅間神社入口

流山浅間神社入口

1.5キロ離れた思井(おもい)村の名主が残した「恩田家文書」に、官軍が新選組を包囲した時のことが書かれています。

浅間(せんげん)裏に官軍方の大将は菊の紋付の旗をおし立てて本陣とし、江戸方の本陣長岡屋の方へ大砲を向け設置した」(恩田家文書より)

この「浅間」が、流山浅間神社のことです。
菊の紋は天皇家の紋で、この旗を立てているのは官軍、逆らう者は賊軍ということになってしまいます。

4月3日の17時頃に官軍の本隊が上陸したので、それ以降の夕方から夜にかけてのことだったようです。
飛地山(現在の流山市役所付近)にいた幕軍側の隊(ほとんど新兵)が、大砲を5、6発発射。
しかし、近藤勇たちの本陣前で菊のご紋の旗が降られたことで、それ以上の反撃はなくなります。
近藤勇は、「脱走兵の取り締まりに来ていただけで、新政府軍に敵対していない」という申し開きのため、「大久保大和」として越谷に出頭することになります。

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現在どんな状態になっている?

流山浅間神社の裏には「富士塚」という、富士山に似せて作られたミニチュア富士山のような石の塚があります。

流山浅間神社の富士塚

流山浅間神社の富士塚

富士塚はかなり小高いので、
「ここに登れば官軍から、近藤勇本陣の様子が丸見えだったのでは……」
と気になりました。
が、調べてみるとこの富士塚、明治24年に築かれたもの。
新選組が流山に来た当時は、なかったことになります。

……ということは、ここは当時平地。
この富士塚がある場所そのものが、「浅間神社の裏」です。
ここから裏手の住宅街にかけてが、新政府軍が陣を敷いた、菊のご紋の旗を立てた場所だったことになりますね。

周囲を見渡すには絶好の場所なので、登ってみます。
流山浅間神社の富士塚は、入山料を入口の賽銭箱に入れると、登ることができます(神社によって異なります)。

流山浅間神社の富士塚から近藤勇陣屋跡を探す

流山浅間神社の富士塚から近藤勇陣屋跡を探す

 

まず、近藤勇本陣跡を探してみますが、住宅だらけで、どこかわかりませんでした。
現代の住宅事情だと、近藤勇本陣跡は、移築されている蔵と同じ高さの戸建てなどに囲まれています。
見るのは難しいです。

富士塚のさらに裏手側は、住宅地になっていて当時の面影はありません。

富士塚の裏手の住宅街

富士塚の裏手の住宅街

が、この富士塚がある位置から裏手の住宅街にかけてが、「浅間裏」つまり新政府軍本陣だったと思われます。

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流山浅間神社の御朱印

流山浅間神社で御朱印をいただける場所

流山浅間神社のご朱印をいただける提灯屋さん

流山浅間神社のご朱印をいただける提灯屋さん

お祭りや正月などの人の多い期間は、境内に御朱印がいただけるテントが出ていることがあります。
それ以外の時期は、鳥居を出て斜め左向かいにある提灯屋さんを訪ねると、御朱印(半紙に書いてあるもの)がいただけます。

流山浅間神社の御朱印

流山浅間神社のご朱印

流山浅間神社のご朱印

流山浅間神社の御朱印。
富士塚登頂印も押されています。

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流山浅間神社の見どころ

社殿

流山浅間神社

流山浅間神社の社殿

富士塚

富士塚の案内板

富士塚の案内板

新政府軍が本陣を置いたという浅間神社裏手に、明治に造られました。
入口の賽銭箱に入山料を払って入ります。

浅間神社は富士山の女神・木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀った神社なので、この富士塚が重要スポット。
富士山信仰では、富士山に登ることが巡礼ですが、滅多に行けるものではありません。
そこで、各地の浅間神社境内に富士塚を造り、疑似的に巡礼していました。

流山浅間神社の富士塚

流山浅間神社の富士塚

流山浅間神社の富士塚は、千葉県トップクラスの規模と言われています。
富士山の溶岩を使い、本物に似せて一合目から十合目まで造ってあります。
現代では、パワースポットと呼ばれたりしています。

「六根清浄(ろっこんしょうじょう)お山は晴天」
唱えながら頂上に登ると、富士山に登ったのと同じ御利益が得られると言われています。
六根とは、「人間の五感+意識」のことで、それを清らかにすると唱えています。
この、修行の山登りの際のかけ声「六根清浄」がなまって、「どっこいしょ」というかけ声になったと言われています。

頂上の碑は明治19年のもの。
先に碑が祀られていて、後からできた富士塚の頂上に設置したことになります。

富士塚から見下ろした本殿

富士塚から見下ろした本殿

岩がゴロゴロしていて、かなり急な場所です。
降りる時が少し怖いので、足を滑らせないように気をつけてくださいね。

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伏見稲荷社・天満宮・水神社・不動明王の祠

浅間神社境内の伏見稲荷

浅間神社境内の伏見稲荷

境内社が4つほどあります。

流山浅間神社の歴史や御利益

流山浅間神社の歴史

1644年、江戸時代初期に、地域の鎮守(守り神)として創建されました。
明治に、社殿裏手に富士塚が造られました。

流山浅間神社の御利益

浅間神社のご祭神は、富士山の女神・木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。
神話では、天皇家の祖先と言われているニニギノミコトと結婚したり、火に包まれた産屋で無事に子供を産んだりしています。
そこから、安産・子育て・縁結び・夫婦円満・火伏せなどの御利益が信じられています。
また、木の花(桜)が咲き誇るように繁栄すると言われています。

流山浅間神社のお祭り

例大祭は7月上旬に行われます。
お神輿が出てにぎやかです。
節分も、境内いっぱいに人が集まって豆まきで盛り上がります。

流山浅間神社周辺の新選組ゆかりの観光スポット

近藤勇陣屋跡

浅間神社から歩いてすぐ。
近藤勇が本陣を置いていた永岡家(通称長岡屋)の跡です。
土台石や碑、展示などがあります。

矢河原の渡し跡

近藤勇が流山を去って越谷に出頭する時に使った渡し場。
ここから立ち去り、二度と戻ることはありませんでした。

流山市立博物館(田中藩陣屋跡)

近藤勇が本陣にしていた永岡家にあった当時の階段や、新選組関連の展示があります。
幕末には田中藩の下屋敷だった場所で、流山での新選組と因縁があります。

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