秋元稲荷神社は、近藤勇・土方歳三が戦勝祈願したと伝わる小さな稲荷神社です。
近藤勇本陣跡の隣にあり、元は本陣があった永岡家の屋敷内にある神社でした。
ここでは、秋元稲荷神社を紹介します。
秋元稲荷神社のアクセス・基本情報
秋元稲荷神社のアクセス・基本情報
住所 | 流山市流山2丁目122−3 |
駐車場 | なし 流山市役所駐車場や、ナビパーク流山第2(30分100円)など |
アクセス | 流鉄流山線流山駅から徒歩4分 |
秋元稲荷神社の地図
秋元稲荷神社と新選組
近藤勇と土方歳三が戦勝祈願
流山に来た新選組は、永岡家(通称長岡屋、屋号は「鴻池(こうのいけ)」)に本陣を置きます。
その本陣がある永岡家の屋敷内にある小さな神社が、今の秋元稲荷でした。
近藤勇と土方歳三は本陣の永岡家に泊まり、秋元稲荷に戦勝祈願をしたと伝わります。
近藤勇本陣の場所を立証した、秋元稲荷ほこら内の棟札
「新選組が本陣を置いた永岡家がどこにあったのか」
については、「鴻池(こうのいけ)」という屋号や、郷土史家が広めた「長岡屋」などの呼び名が入り乱れていたこともあり、混乱もありました。
2012年、秋元稲荷のほこら内から、「永岡三郎兵衛」の文字が書かれた木箱や棟札(むなふだ・建築や改修の記念に、建物の由緒や日付、建築者の名前などを書きつけた木札)が見つかりました。
棟札(むなふだ)には、「元治二年」(1865年)という日付が書いてあり、新選組が流山に来る3年前のものでした。
これで、ここに確かに永岡家があったということが立証されました。
参考:「近藤勇本陣の“物証”発見 「秋元」祠から木箱、お札 流山」千葉日報
現在の秋元稲荷は再建されたもので、当時の建物ではありません。
でも、新選組の足跡をたどる貴重な手掛かりを残してくれた神社です。
秋元稲荷神社の御朱印
御朱印はありません。無人です。
秋元稲荷神社の歴史
1802年、京都の伏見稲荷から分霊(神様の霊をわけてもらい、他の神社にまつること)を受けて創建されました。
1868年、近藤勇や土方歳三が永岡家に本陣を置き、屋敷内にあったこの秋元稲荷に戦勝祈願をしています。
秋元稲荷神社周辺の新選組ゆかりの観光スポット
近藤勇本陣跡
秋元稲荷のすぐ隣。新選組が本陣を置きました。
近藤勇の碑や案内板、永岡家の土台石などが残っています。
後ろの蔵は、観光用に同年代の建物を移築したもので、当時蔵にいたわけではありません。
秋元
8:30~17:30営業、日祝定休。
現在、本陣跡や秋元稲荷の敷地を所有している、酒造秋元の酒屋。
近藤勇本陣にちなんだ「本陣長岡屋」という清酒や、新選組のはっぴ、手ぬぐい、凧、その他新選組グッズや、新選組を扱った作品「薄桜鬼」グッズも置いてあります。
流山浅間神社|御朱印あり
新政府軍が本陣を置いた神社。近藤勇本陣跡から歩いてすぐの場所で、どれほど近くまで来られたのか体感できます。
清水屋
12~19時営業、水曜定休。
近藤勇本陣がモチーフの「陣屋もなか」がある和菓子屋さん。