東京都港区の新撰組観光地・ゆかりの地

真浄寺(最後の新選組隊士・池田七三郎《稗田利八》の墓)|港区の新選組ゆかりの地・観光スポット

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港区の妙光山真浄寺(最後の新選組隊士・池田七三郎の墓)

港区の妙光山真浄寺(最後の新選組隊士・池田七三郎の墓)

港区麻布台の妙光山真浄寺には、昭和13年まで長生きした最後の新選組隊士・池田七三郎(本名・稗田利八)の墓があります。
池田七三郎(稗田利八)は回顧録「新選組聞書」という新選組の貴重な資料を残し、フィクションでも「壬生義士伝」(浅田次郎著)で語り部の一人として登場しています。
ここでは真浄寺と池田七三郎(稗田利八)の墓を紹介します。

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港区真浄寺のアクセス・基本情報

港区真浄寺のアクセス・基本情報

住所

東京都港区麻布台2-3-18

アクセス

日比谷線神谷町駅から徒歩9分
三田線御成門駅から徒歩10分
大江戸線赤羽橋駅から徒歩10分

駐車場

なし
周辺コインパーキング
三井のリパーク麻布台1丁目第5(10分400円)など

関連サイト


日蓮宗東京都南部宗務所管内寺院紹介「真浄寺」

港区真浄寺と池田七三郎(稗田利八)の墓の地図

池田七三郎(稗田利八)の墓がある真浄寺

池田七三郎(稗田利八)の墓の場所

池田七三郎(稗田利八)の墓の地図

池田七三郎(稗田利八)の墓の地図

真浄寺の本堂左脇から墓地に入ります。
まっすぐ奥に進み、突き当ったらその突き当った区画の裏側に回り込みます。
入ってきた方向に向き直り、向かって右から2番目の墓が、稗田家(池田七三郎)の墓です。

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池田七三郎(稗田利八)の墓石

稗田家の墓

稗田家の墓。右側に墓誌、左側に稗田利八(池田七三郎)の古い墓石がある

「池田七三郎」(いけだしちさぶろう)は新選組で使っていた名前で、本名は「稗田利八」(ひえだりはち)です。
中央の「稗田家之墓」に合葬されています。
右横に稗田利八の名が載る墓誌、左横には稗田利八の古い小さな墓石があります。

「丸に剣三つ柏」の稗田家家紋

「丸に剣三つ柏」の稗田家家紋

「丸に剣三つ柏」の家紋が刻まれ、供え物がしてありました。

右側の墓誌に稗田利八の名前

右側の墓誌に稗田利八の名前

右脇の墓誌の右から7番目に、
「義選院法喜日利信士 昭和十三年一月十六日 稗田利八 九十才」
と名前が載っています。

池田七三郎(稗田利八)の古い墓石

池田七三郎(稗田利八)の古い墓石

左横に池田七三郎(稗田利八)の古い墓石があり、
「新選組 池田七三郎事 稗田利八之墓碑」
と刻まれています。
この古い墓石は、墓所の整備で片付けられていた時期もあるようなのですが、2019年にお墓参りした時には、稗田家の墓の左横に安置されていました。

池田七三郎(稗田利八)とは

本名は稗田利八(ひえだりはち)です。
嘉永2年11月13日(1849年12月27日)、現在の千葉県東金市にあった田間村の商人の家に生まれます。
元治元年(1865年)17歳の時、江戸飯田町(現在の千代田区富士見1丁目)にあった天野静一郎道場で一刀流を学びます。
慶応3年(1867年)、19歳の時、土方歳三の隊士募集に応じて新選組に入ります。
この時、変名として「池田七三郎」(いけだしちさぶろう)の名を使いました。

鳥羽伏見の戦いや甲陽鎮撫隊に参加し、重傷を負いますが生き延びます。
会津戦争中、斎藤一とともに如来堂で激戦を繰り広げます。
新選組隊士・中島登が、如来堂の隊士は全滅したと誤認して記録したことから、戦死したと思われていました。
が、実は如来堂から落ち延びた7名の中にいました。

池田七三郎(稗田利八)は落ち延びた後、他数名の隊士とともに水戸の佐幕派・水戸諸生党と合流し、新政府軍にゲリラ戦を仕掛け、水戸城を襲い、敗退します。
霞ヶ浦から利根川を船で下って銚子へ逃げようとしましたが、銚子にいた高崎藩兵に囲まれて降伏。
他の隊士ともども、「新選組」とは言わずに「江戸を脱走した」で通し、江戸に護送され、明治2年まで謹慎生活を送った後釈放されました。

その後は商人として暮らし、昭和4年に子母沢寛の取材を受け、新選組に関する貴重な証言を多く残しました。
昭和13年(1938年)1月16日、90歳で亡くなります。
新選組隊士の中で最も後の時代まで長生きした人物で、新選組最後の生き残りと言われました。

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真浄寺の御首題

真浄寺御首題

真浄寺御首題

真浄寺は日蓮宗なので、御朱印ではなく「南無妙法蓮華経」と描かれた御首題です。

ビル1階の本堂の玄関チャイムを鳴らして、応対してくださった年配のご住職にいただきました。
2階が本堂だそうで、書いている間にお参りさせていただきました。
エレベーターもあり、新しい近代的な本堂でした。

日蓮宗のお寺では、御首題だけを書いている御首題帳を出さない限り、「妙法」と書かれることが多いのですが、こちらのお寺は御朱印帳でも同じ御首題になるとのこと。
池田七三郎の墓の場所を尋ねると、親切に案内してくださいました。

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真浄寺の由緒・境内

真浄寺の境内

真浄寺の本堂

真浄寺の本堂

ロシア大使館の庭のブロック塀沿いの道に面して、ビルの1階に本堂があります。
2016年に建て替えたばかりの新しい本堂です。
同じ区画に「一乗寺」もあり、間違えやすいので、寺名の確認をして入るのがおすすめ。

真浄寺の由緒・歴史

正保元年(1645年)、向學院日養が創建しました。
「江戸切絵図」にも、隣の一乗寺とともに載っています。
一乗寺は境内の一部に一乗寺ビルが建ったようですが、真浄寺はあまり境内の広さが変わっていません。

向かいの、現在ロシア大使館の庭になっているブロック塀の向こうは、江戸時代には三春藩(現在の福島県田村郡三春町)主の秋田家の屋敷が建っていました。
三春藩は奥羽列藩同盟で幕府側でしたが、武士が900名しかいない小藩で、防衛が不可能との判断で無血で降伏しました。

真浄寺周辺の新選組ゆかりの地・観光スポット

金地院(近藤勇が建てた近藤周助の墓)|御朱印あり

東京タワーが見える方向に進むと金地院があります。
金地院には近藤勇が建てた近藤周助の墓があります。

麻布警察署跡(斎藤一勤務地)|何もなし

斎藤一が明治に勤務していた、麻布警察署の跡です。
現在のエネオスなどの横で、案内板も何もありません。

泉ガーデンタワー入口(斎藤一居住地)|何もなし

斎藤一が明治に住んでいた住居跡です。
今は何も残っておらず、区画整理されて泉ガーデンタワーの入口から少し北あたりになっています。

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