東京都港区の新撰組観光地・ゆかりの地

泉ガーデンタワー付近(藤田五郎=斎藤一の家の跡)|港区の新選組ゆかりの地・観光スポット

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藤田五郎の家があった泉ガーデン入口近くの場所

藤田五郎の家があった泉ガーデン入口近くの場所

斎藤一は明治に、藤田五郎の名で麻布警察署に勤めていた頃、現在の泉ガーデンタワーの入口少し北付近の区画にあった家に住んでいました。
今は案内板も何もありません。
この記事では、泉ガーデンタワー近くの家に住んでいた頃の斎藤一(藤田五郎)の状況や、現在のその場所の様子を紹介します。

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泉ガーデンタワー入口付近(藤田五郎=斎藤一の家跡)のアクセス・基本情報

泉ガーデンタワー入口付近(藤田五郎=斎藤一の家跡)のアクセス・基本情報

住所

東京都港区六本木1-6-1

アクセス

南北線六本木一丁目駅から徒歩3分

駐車場

泉ガーデンタワーパーキング(30分300円)など

泉ガーデンタワー入口付近(藤田五郎=斎藤一の家跡)の地図

泉ガーデンタワー入口付近に住んだ頃の藤田五郎=斎藤一

兄・山口廣明から、勤務先近くの家を買う

藤田五郎(斎藤一)が勤めた麻布警察署跡地(ガソリンスタンドや水素スタンドの左側から車道上にかけて)

藤田五郎(斎藤一)が勤めた麻布警察署跡地(ガソリンスタンドや水素ステーションの左側から車道上にかけて)

斎藤一は明治になってから、藤田五郎の名で警視庁に入り、警官になっていました。
明治21(1888)年頃麻布警察署詰外勤警部として勤めます。
警部補から警部に昇進しての異動でした。
外勤というのは、内勤(事務仕事)以外の警察の仕事で、犯罪捜査、事故処理、警備、交番勤務などです。

その明治21年に、麻布区(当時)に生家の山口家が持っていた土地を、藤田五郎(斎藤一)が購入しました。
実兄・山口廣明が福島県に勤めることになったため、土地を手放して弟の藤田五郎(斎藤一)に売ったものでした。

この、兄から買った土地が、当時の「麻布区麻布箪笥町21番地」で、現在の泉ガーデンタワーの入口の少し北付近にあたります。

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藤田五郎(斎藤一)が妻子とともに住んだ家

藤田五郎の家があった泉ガーデン入口近くの場所

藤田五郎の家があった泉ガーデン入口近くの場所

この家に藤田五郎(斎藤一)は、明治21(1888)年から明治24(1891)年まで住みます。
満44歳から47歳までの期間です。
麻布警察署までは徒歩18分ほどです。

妻の時尾と、長男・勉、次男・剛とともにここに住んでいました。
勉が満12歳から15歳まで、剛が満9歳から12歳まで住んでいたことになります。

三男の龍雄も生まれていましたが、龍雄は生まれてすぐ、時尾の親類で子がなかった沼沢家に養子に入って跡取り息子となっています。
この家に引っ越したのは養子に出た後なので、一緒には暮らしていません。

明治24年、警視庁の人員削減で藤田五郎(斎藤一)は退職し、文京区にあった東京高等師範学校附属、東京教育博物館(現在の湯島聖堂付近)の看守(守衛長)に転職します。
それに伴って、文京区の真砂町に引っ越しています。

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藤田五郎=斎藤一の家跡は現在で言うと泉ガーデンタワー入口少し北

藤田五郎(斎藤一)が兄から買った土地は、当時の「麻布区麻布箪笥町21番地」で、現在の六本木3-6、泉ガーデンタワーの入口付近にあたります。
近代的に変貌していて、案内板も何もありません。

当時は、現代の地図にある首都高速や麻布通りはありませんでした。
明治の地図で21番地の東側を縦に通っている道が、現代では泉ガーデンタワーの壁沿いの緑地の奥側あたりで、藤田五郎(斎藤一)が住んだ21番地は壁沿いの緑地から首都高速を超えた向こう、麻布通り車道上にかけての場所にあたると思われます。

藤田五郎の家があった区画(推定)

藤田五郎の家があった区画(推定)

これ以前の江戸切絵図なども合わせて見ると、21番地は上の写真あたりにあった区画と推定され、その区画のどこかに藤田五郎(斎藤一)の住んだ家がありました。

泉ガーデンタワー入口付近(藤田五郎=斎藤一の家の跡)周辺の新選組ゆかりの地

勝海舟邸跡(土方歳三が助命工作に来た地)|標柱と案内板

勝海舟が幕末に住んでいた屋敷跡で、近藤勇が流山で出頭した翌日、土方歳三が近藤勇の助命工作に来ました。

神戸ごはん田中屋(勝海舟邸跡で営業)

勝海舟邸の敷地だった場所(標柱などより奥の建物)で営業している小料理屋さん。

重箱(永倉新八が食べたうなぎ屋が前身)

前身が浅草の山谷にあった「重箱」といううなぎ屋で、戊辰戦争後に江戸に戻った永倉新八が、浅草の重箱で久しぶりに江戸前のうなぎを食べたと語っています。
移転して赤坂の高級料亭になって雰囲気は変わりましたが、うなぎ中心のコースがあります。

真浄寺(池田七三郎=稗田利八の墓)

昭和まで生きた最後の新選組隊士・池田七三郎(稗田利八)の墓があります。

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