![櫻田神社(沖田総司の氏神)](https://shinsengumi-kanko.com/wp-content/uploads/2019/05/sakuradajinja-top.jpg)
櫻田神社(沖田総司の氏神)
櫻田神社は沖田総司が氏子だった神社です。
沖田総司生誕地のすぐ近くにあり、沖田総司がお宮参りをしたと伝わっています。
新選組デザインの御朱印帳やお守り、絵馬などがあり、時々出る期間限定の御朱印も人気です。
ここでは、櫻田神社を紹介します。
櫻田神社のアクセス・基本情報
櫻田神社のアクセス・基本情報
社務所受付時間 | 10~17時 |
住所 | 東京都港区西麻布3-2-17 |
アクセス | 日比谷線/大江戸線六本木駅1c出口から徒歩7分 |
駐車場 | なし、コインパーキング等利用 六本木ヒルズ駐車場30分300円 など |
公式Twitter | 櫻田神社公式Twitter |
櫻田神社ブログ | 櫻田神社宮司のブログ |
櫻田神社の地図
櫻田神社は新選組・沖田総司の氏神
沖田総司がお宮参りした櫻田神社
櫻田神社は沖田総司が生まれた白河藩下屋敷の目の前にあり、白河藩下屋敷も氏子地域としていました。
このため、沖田総司の氏神となり、沖田総司がお宮参りした神社として知られています。
沖田総司生誕地の白河藩邸が目の前
![当時の専称寺と櫻田神社、沖田総司生誕の白河藩下屋敷(江戸切絵図)](https://shinsengumi-kanko.com/wp-content/uploads/2019/05/kiriezu-azabu.jpg)
当時の専称寺と櫻田神社、沖田総司生誕の白河藩下屋敷(江戸切絵図「東都麻布之絵図」)
上の「江戸切絵図」の、「阿部播磨守」と書いてある場所が、沖田総司が生まれた白河藩下屋敷です。
その門前に小さく「霞山イナリ」と書いてあるのが、櫻田神社の旧名。
櫻田神社は明治28年に今の名になる前は、霞山稲荷(かすみやまいなり)という名でした。
すぐ近くに沖田総司の菩提寺になった専称寺も小さく書かれています。
「阿部播磨守」の上方の「毛利甲斐守」と書かれている屋敷跡に、今は六本木ヒルズが建っています。
白河藩邸の敷地内には、江戸詰めの藩士などが暮らす長屋があり、そこで沖田総司は生まれました。
櫻田神社(霞山稲荷)は、白河藩邸も氏子地域としていました。
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櫻田神社立地、境内
六本木ヒルズすぐ近くにある櫻田神社
![櫻田神社から見た六本木ヒルズ](https://shinsengumi-kanko.com/wp-content/uploads/2019/05/hills.jpg)
櫻田神社から見た六本木ヒルズ
鳥居の前から振り返ると、六本木ヒルズがそびえています。
六本木ヒルズの場所にはかつて、江戸切絵図で「毛利甲斐守」と書かれている、長門府中藩毛利家の上屋敷がありました。
近藤勇が尊敬していたとも言われる(新選組隊服のだんだら模様の由来にもなった)赤穂浪士が切腹した場所です。
また、乃木将軍が生まれた場所でもあり、櫻田神社は乃木将軍のお宮参りの神社にもなっています。
幕末には武家屋敷や寺が立ち並んでいたこの場所も、今は都心の一等地になっています。
六本木ヒルズに背を向けて、鳥居をくぐります。
櫻田神社の境内
![江戸名所図会「霞山稲荷」(櫻田神社旧名)](https://shinsengumi-kanko.com/wp-content/uploads/2019/05/edozue-kasumiyama.jpg)
江戸時代の櫻田神社(「江戸名所図会. 2」28コマ目)
「江戸名所図会」では、広そうな境内が描かれています。
本堂のほかに天神、地蔵、観音、かぐら所などがあるようです。
別当寺(神社を管理するお寺)だった観明院(現在は廃寺)も描かれているのかもしれません。
沖田総司がお宮参りに来た時もこんな感じだったのでしょうね。
昭和50年に境内だった場所にマンションが建設されたため、現在は当時より境内は狭くなっています。
![櫻田神社の入口](https://shinsengumi-kanko.com/wp-content/uploads/2019/05/sakurada-entrance.jpg)
櫻田神社の入口
現在の入口の鳥居。
![櫻田神社の鳥居と社殿](https://shinsengumi-kanko.com/wp-content/uploads/2019/05/sakurada-torii3.jpg)
櫻田神社の鳥居と社殿
現在の社殿。東京大空襲で焼けて再建した後、昭和50年に改築されたものです。
沖田総司のお宮参り当時からあるもの
社殿近くの小さな鳥居、その前の狛犬、社殿近くの天水桶は、沖田総司が生まれる天保13年または15年(2説あり・1842年か1844年)より前の年月日の奉納になっています。
江戸時代より境内が狭くなったので、配置場所は変化しているのでしょうが、沖田総司がお宮参りに来た当時も境内のどこかにあったものです。
社殿近くの小さい鳥居の前にある、文化2(1805)年奉納の狛犬。
文政13(1830)年奉納の鳥居。
「従五位下 松平伊勢守」とあります。
専称寺の南、今の中国大使館のあたりに住んでいた旗本の松平定朝(左金吾)が奉納したものです。
![当時の専称寺と櫻田神社、沖田総司生誕の白河藩下屋敷(江戸切絵図)](https://shinsengumi-kanko.com/wp-content/uploads/2019/05/kiriezu-azabu.jpg)
専称寺の右に鳥居奉納の「松平左金吾」邸(江戸切絵図「東都麻布之絵図」)
江戸切絵図でも専称寺の右の方に「松平左金吾」と載っていて、ご近所だったのがわかります。
松平定朝は花しょうぶの育種家として有名でした。
![櫻田神社の天水桶](https://shinsengumi-kanko.com/wp-content/uploads/2019/05/sakurada-tensuioke-1.jpg)
櫻田神社の天水桶
文政(1826)9年5月奉納の天水桶。
弘化四年(1847)奉納、お宮参りの時はなかったものの、沖田総司が3歳か5歳の頃奉納された、同時代の手水盤。
脇に当時の社名「霞山」が刻まれています。
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櫻田神社の御朱印・御朱印帳
櫻田神社の御朱印帳
![櫻田神社の御朱印帳](https://shinsengumi-kanko.com/wp-content/uploads/2019/05/sakurada-goshuincho2.jpg)
櫻田神社の御朱印帳
だんだら模様に沖田総司の家紋と桜、裏に「沖田総司ゆかりの地」と書かれた御朱印帳があります。
赤と水色があり、水色の方は新色なので頒布開始後1日か2日でなくなっているようです。
赤の方は比較的在庫があることがあります。
頒布情報は櫻田神社のTwitterが一番詳しいです。
櫻田神社の御朱印
「沖田総司ゆかりの地」と書かれた桜柄のものと、社名が書かれたものがあります。
櫻田神社の期間限定御朱印
時々、期間限定の御朱印が出ています。
![櫻田神社の御朱印(天皇陛下御在位30年記念)](https://shinsengumi-kanko.com/wp-content/uploads/2019/04/sakuradajinja-goshuin3-205x280.jpg)
櫻田神社の御朱印(天皇陛下御在位30年記念)
天皇陛下御即位三十年の御朱印。
![櫻田神社の御朱印(平成最後)](https://shinsengumi-kanko.com/wp-content/uploads/2019/05/sakurada-heiseigoshuin-336x243.jpg)
櫻田神社の御朱印(平成最後)
![櫻田神社の御朱印(平成から令和へ)](https://shinsengumi-kanko.com/wp-content/uploads/2019/05/sakurada-reiwagoshuin-1-336x226.jpg)
櫻田神社の御朱印(平成から令和へ)
平成最後の御朱印と、天皇陛下御即位の「平成から令和へ」御朱印。
2019年5月6日までやっていました。
櫻田神社の七福神御朱印
![櫻田神社の寿老人(境内社)](https://shinsengumi-kanko.com/wp-content/uploads/2019/05/sakurada-jurojin.jpg)
櫻田神社の寿老人(境内社)
櫻田神社には寿老人があり、港七福神の一つです。
港七福神は毎年元旦から成人の日まで。
その期間は「寿老人」の御朱印が受けられます。
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櫻田神社のお守り・絵馬
新選組隊服デザインの願守
![櫻田神社の願守](https://shinsengumi-kanko.com/wp-content/uploads/2019/05/sakurada-negaimamori.jpg)
櫻田神社の願守
お守りも各種授与されていますが、新選組ファンとして注目したいのは「願守」(1500円)。
裏がだんだら模様なんです。
表側のポケットに「願」と書かれた小さな木の板が入っていて、板の裏に願い事を書いて持っておくお守り。
表側にもさりげなく、神社の紋のほかに沖田家の家紋がデザインされています。
新選組隊服デザインの絵馬
![櫻田神社の絵馬(新選組隊服デザイン)](https://shinsengumi-kanko.com/wp-content/uploads/2019/05/sakurada-ema.jpg)
櫻田神社の絵馬(新選組隊服デザイン)
新選組の隊服デザインで「沖田総司ゆかりの地」と書かれた絵馬もあります(500円)。
初詣に来たらぜひ願い事を書きたい絵馬ですね。
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櫻田神社の由緒
![江戸名所図会「霞山稲荷」(櫻田神社旧名)](https://shinsengumi-kanko.com/wp-content/uploads/2019/05/edozue-kasumiyama.jpg)
江戸時代の櫻田神社(「江戸名所図会. 2」28コマ目)
櫻田神社の歴史
1180年、源頼朝の命で、御家人の渋谷重国(しぶやしげくに・渋谷という地名の由来になった人)が、霞が関の桜田門外に「霞山桜田明神」として創建しました。
1189年、源頼朝が田畑を寄進。神社の田のあぜに桜を植えたのが「櫻田」という地名になりました。
文明年間(1469~87)、太田道灌が太刀と甲冑を奉納しています(現存せず)。
1624年、現在地に移転。
1842年か44年、沖田総司がお宮参り。
1849年、乃木将軍がお宮参り。
1895(明治28)年、社名が霞山稲荷から櫻田神社になりました。
1945(昭和20)年、東京大空襲で社殿などが焼失。
1951(昭和26)年、再建。
1975(昭和50)年、社殿改築。境内だった場所にマンションが建ち、以前より狭くなったので境内整備。
櫻田神社と狐伝説
櫻田神社には白い狐の伝承があります。
鎌倉幕府御家人の渋谷重国が、櫻田神社が最初に創建された霞が関で狩りをして、枯草を焼いて穴からいぶし出そうとした時、白い狐が現れて天に向かって気を吹き上げ、中から銃一面観音が現れます。
これを渋谷重国が源頼朝に報告し、(狐が神使なので)稲荷大明神を創建したという伝承です。
櫻田神社の祭神・御利益
祭神は豊宇迦能売大神。
元が稲荷神社なので、稲荷神社で一般的な、豊穣の神様です。
五穀豊穣、商売繁盛、諸願成就、開運招福など、豊かさを招くことが御利益と信じられています。
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櫻田神社周辺の新選組ゆかりの地・観光スポット
専称寺(沖田総司菩提寺)
沖田総司の墓があります。
墓地は普段は閉鎖されていて、沖田総司忌の時だけ入ってお参りできます。
白河藩下屋敷跡(沖田総司生誕地)|何もなし
櫻田神社の裏手の広い区域が、沖田総司が生まれた白河藩下屋敷があった場所です。
今は住宅街で、案内板も何もありません。