深大寺の元三大師堂(がんざんだいしどう)の堂内には、明治40年に近藤勇五郎(近藤勇の甥・娘婿)が奉納した、天然理心流の大きな扁額があります。
日露戦争従軍記念で奉納され、「門人」のところに近藤勇の孫・近藤久太郎の名もあります。
近藤勇が生まれた調布の由緒あるお寺、深大寺を紹介します。
深大寺のアクセス・基本情報
深大寺のアクセス・基本情報
寺務所対応時間 | 9:00~17:00 |
住所 | 調布市深大寺元町5-15-1 |
アクセス | 京王線調布駅中央口14番バス乗り場から「調34深大寺行き」深大寺バス停下車徒歩5分、「吉14吉祥寺駅行き」「調35杏林大学病院入口行」バス乗車、深大寺小学校下車徒歩5分 京王線調布駅中央口13番バス乗り場から「吉06吉祥寺駅行」、「鷹56三鷹駅行」乗車、「深大寺入り口」バス停下車徒歩8分 |
駐車場 | 境内駐車場は法事または車両祈願の方のみ。 周辺有料駐車場 高橋駐車場1日700円 神代植物公園駐車場 1時間300円 など |
公式サイト | 深大寺元三大師堂 |
深大寺の地図
深大寺と新選組・天然理心流の関係
近藤勇五郎が奉納した天然理心流扁額
深大寺の元三大師堂の堂内には、近藤勇の甥で娘婿の近藤勇五郎が奉納した、天然理心流の扁額があります。
明治40年3月3日に奉納されました。
明治38年に終戦した日露戦争に、天然理心流門人も多く出征しました。
その門人たちのために、終戦後に作られた扁額です。
深大寺元三大師堂のここに奉納額
深大寺の元三大師堂は、祈祷で混みあっていなければ、中に入ってお参りできます。
1月の正月期間と10~11月の七五三期間、節分などの行事の日は祈祷中なことが多く入りにくいので、中の奉納額を見るならそれ以外の期間に行くのがオススメです。
入口からも右奥上を覗き込めば、位置的には見えなくはないはずなのですが、堂内が暗いのであまり見えないです。
堂内に入ると、横幅を三分割するように太い柱が二本立っています。
その右の柱と右の壁の間あたりで、奥の御本尊がある方向を向いて見上げると、古い大きな額がかかっています。
大きく「武徳」と書いてあり、近藤勇五郎のほか、門人たちの名前と「砲兵」などの軍での役職が書かれています。
読みにくいですが、門人のところには、近藤勇の孫・近藤久太郎の名もあります。
近藤久太郎
近藤勇の娘・たまと、近藤勇の甥・勇五郎の間に明治16年に生まれた息子です。
日露戦争に出征しますが、戦地で病にかかり、明治38年9月、23歳で戦病死します。
これをもって、近藤勇の嫡流の子孫は途絶えました。
近藤勇は3人の妾との間にも子供がいて、そちらの子孫は続いているようです。
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元三大師堂他の見どころ
元三大師堂(建物)
火災で焼けて、慶応3年、新選組が京にいた頃に再建されたものです。
昭和に、仏像があるあたりを奥側に広げる形で改装されていますが、その手前までは江戸時代のもの。
外の縁側部分を広げる改装は行われています。
秘仏・慈恵大師(元三大師)像(市指定有形文化財)
2メートルある巨大な像で、鎌倉時代末か南北朝時代に作られたものです。
秘仏で、普段は公開されていません。
25年に一度、公開される年があります。
次回の開帳は2034年です。
元三大師とは
元三大師(がんざんだいし)とは慈恵大師良源の別名で、鬼の姿になって疫病神を追い払ったという伝説があります。
そのため、厄除けの仏として信仰されてきました。
おみくじを作ったのも元三大師と言われています。
鬼の姿をかたどったお札やお守りが、厄除けに広く使われていて、元三大師堂前でも頒布されています。
龍の天井画(市指定有形文化財)
堂の天井に、龍が描かれています。
河鍋暁斎が描いたもの。
市指定の有形文化財です。
おびんずるさま
お堂の外に通称「おびんずるさま」という撫で仏があります。
自分の体の悪くしている部分を撫でると、病が祓われると信じられています。
護摩祈祷
毎日護摩祈祷が行われています。
火を使っての御祈祷でかなりの迫力です。
平日は11時と14時、土日祝日は11時、13時、14時。
正月や節分などは日程が異なります。
申し込みをして祈祷料を払う必要があります。
詳しくは深大寺の公式サイトで。
この時間は無料での奉納額の見学者はちょっとお堂に入りにくいです。
天然理心流奉納額がある元三大師堂の由緒
深大寺は天平5年 (西暦733年)に、水の神・深沙大王を祀る法相宗のお堂として創建されました。
その後、武蔵国の乱を鎮める祈祷をした関係で、深大寺は天台宗に変わります。
正暦2年(991年)、元三大師が自分で彫ったという元三大師像が比叡山から移されます。
これを祀るようになったのが元三大師堂です。
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深大寺の御朱印
深大寺の御朱印授与所
山門を入って右手に進むと、「御朱印はこちら」と案内があります。
寺務所の建物の中です。
天然理心流奉納額がある元三大師堂の御朱印
元三大師堂の御朱印。
鬼の姿になって魔を追い払った時の元三大師の姿が描かれた、厄除けの御朱印です。
深大寺の他の御朱印
深大寺には元三大師堂の御朱印のほかに、本堂本尊・無量寿の御朱印と、釈迦堂本尊の国宝・白鳳仏の御朱印があります。
どれも、山門入って右手の御朱印授与所でいただけます。
深大寺の毎月17日限定の縁結び御朱印
毎月17日限定で、深沙大王の縁結び御朱印があります。
秘仏の深沙大王像の絵が描かれています。
書き置き(半紙に書かれた状態のもの)のみ。
深大寺の御朱印帳
新選組関連ではないですが、表表紙に深大寺山門、裏表紙に国宝の白鳳仏がデザインされた御朱印帳があります。
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深大寺境内の新選組以外の見どころ
深大寺には国宝や国の重要文化財の他、市指定の有形文化財がたくさんあります。
国宝・釈迦如来像(白鳳仏)、重要文化財・梵鐘、毘沙門天像
どれも釈迦堂に展示されています。
>国宝・釈迦如来像(白鳳仏)
明治に元三大師堂の壇の下から発見された、7世紀(飛鳥時代後期の「白鳳」時代)の仏像です。
深大寺が創建された時の本尊だったのですが、慶応元年に火災で本堂が焼けた後、先に再建された元三大師堂の壇の下に仮置きされたまま忘れられていました。
奈良の法隆寺・夢違観音像、新薬師寺・香薬師像とともに「白鳳三仏」に数えられる国宝です。
重要文化財・梵鐘
現在鐘楼にあるのとは別の、古い梵鐘で、国の重要文化財です。
永和2年(1376年)に作られたもの。
皇太子時代の昭和天皇が、深大寺で「古いものは大切にするがよい」と発言されたため、第二次世界大戦中に鉄材として徴発されずに残りました。
元は鐘楼で使われていましたが、ひび割れがあり、傷むのを防ぐために新しい鐘(平成新鐘)が作られ、古い方は釈迦堂に安置されました。
毘沙門天像(市指定有形文化財)
平安時代後期の毘沙門天像で、市の有形文化財です。
廃寺になった子院の多聞院にあり、廃寺になった後こちらに安置されました。
元々深大寺で祀られていた深沙大王は、毘沙門天の化身とも言われています。
拝観時間 | 冬季(秋分の日~)9:00~16:00 夏季(春分の日~)9:00~17:00 |
拝観料 | 300円(高校生以下無料) |
公式サイト | 深大寺国宝白鳳仏 |
山門(市指定有形文化財)
元禄8年(1695年)建設。
慶応元年の火災で焼けなかったため、深大寺で一番古い建造物です。
薬医門と呼ばれる形式です。
調布市有形文化財(建造物)に指定されています。
市指定有形文化財・本堂の阿弥陀如来像
本堂の本尊・阿弥陀如来像は、鎌倉時代前期に作られたもの。
市指定有形文化財となっています。
深沙大王堂と堂内の「宮殿」(市指定有形文化財)
元々水の神「深沙大王」を祀るお堂として創建されたのが深大寺です。
「深沙大王」が寺名の由来にもなっています。
その深沙大王を祀っているお堂。
現在の建物は昭和43年に再建されたものです。
深沙大王像が安置されていますが、秘仏のため非公開です。
深沙大王像は、宮殿(くうでん)と呼ばれる江戸時代初期の小さな建物に収められており、調布市の指定文化財になっています。
赤い龍の天井画があり、特別公開時のみ見学可能です。
裏手に湧水池があり、水が湧き出ていて、水の神を祀るという土地柄を実感できます。
「東京都の名湧水57選」の不動の滝・不動堂
現在の不動堂は、明治17年に再建されたもの。
その裏手に、「東京都の名湧水57選」に入っている不動の滝があります。
お水取りをしたい方は、本堂の方にある手水舎で行うようになっています。
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深大寺のイベント
だるま市、厄除元三大師大祭(3月3・4日)
江戸中期頃から行われている、「日本三大だるま市」の一つ。
境内でだるまを買ったら、元三大師堂前でお坊さんに「目入れ」をしてもらえます。
深大寺のだるま市は、新しいダルマの左目に梵字で、物事の始まりを意味する「阿」字を入れています。
念願叶ったら、まただるま市に来て、物事の終わりを意味する「吽」(うん)の字を入れてもらい、お寺に納めます。
この期間は混みあうので、元三大師堂内の見学は難しいかもしれません。
薪能(5月下旬)
古式ゆかしい、夜に薪の明かりの元で上演されるお能の舞台です。
その他の行事
初詣や節分、なんじゃもんじゃの木のところで行われるなんじゃもんじゃコンサート、月を見る十三夜の会、ほおずきまつりなど、風情あるイベントがたくさんあります。
「深大寺手作り市」という、手芸品・工芸品などの手作りの作品を発表・頒布する市も開かれていて、賑わいます。
また、春の桜や秋の紅葉も有名です。
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深大寺周辺も見るなら
深大寺水車館
市内に最後まで残っていた水車を復活させたもの。
無料で見学できます。
鬼太郎茶屋
調布は漫画家・水木しげるの故郷です。
それを記念して、「ゲゲゲの鬼太郎」のカフェ・ショップ・ギャラリーが一体となった「鬼太郎茶屋」が門前の参道にあります。
鬼太郎の御朱印帳などのグッズのほか、「ぬりかべの味噌おでん」や「目玉のおやじまん」などのキャラの食べ物も売っています。
見るだけでも楽しいお店です。
深大寺そば
深大寺周辺は土地が稲作に向いておらず、小作人がそばを寺に献上し、寺がそばを打って来客をもてなして評判になりました。
それが深大寺そばの始まりです。
湧き水が美味しい場所だったことも、そば打ちに適していました。
山門を降りてすぐの「門前そば本舗」は、元々のお店の建物と半分外のような建物との境、外側天井近くに、新選組を扱った錦絵(版画)が貼ってあります。
ただ通路沿いで、あまりじっくり眺められる場所や雰囲気ではなく、見られず終わることもあります。
会計に向かう時などにチャンスがあったら探してみてください。
私も会計に向かう時にチラッとしか見られませんでしたが、歌舞伎のような姿の新選組が、深大寺そばを食べている絵のようでした。
ほかにも「湧水」「青木屋」「深水苑」「きよしそば」「陣屋」「水神苑」「松葉茶屋」「一休庵」「梅月」「玉乃屋」など、深大寺には名店と呼ばれる店がたくさんあります。
深大寺城跡(神代植物公園内)|国指定史跡
深大寺城跡は国指定の史跡です。
都立神代植物公園の水生植物園内ですが、今は標柱や土塁しか残っていません。
大永4年(1524年)、扇谷上杉氏は北条氏綱に江戸城を奪われます。
そこで天文6年(1537年)、北条氏に対抗するため、元から深大寺にあった古城を再興しました。
その後北条氏が扇谷上杉氏の河越城を攻めて扇谷氏が敗走し、深大寺城は意味を持たなくなったため廃城になっていました。
深大寺の温泉「湯守の里」
天然の日帰り温泉です。
深大寺を散策した後、日帰り温泉を利用して身も心もスッキリするのもいいですね。
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深大寺の名物・土産
深大寺そば
そば屋や土産物屋などで売っています。
深大寺ビール
深大寺そばの各店で売っています。
陶芸品
「むさし野深大寺窯」で陶芸体験ができます。
出来上がった陶芸品なども売っています。
以前は近藤勇をかたどった「イサミ土鈴」もあったようなのですが、2019年に行った時はありませんでした。
だるま
門前にはだるまを売っているお店がたくさんあり、だるま市の時期以外でも土産物として購入できます。
鬼太郎グッズ
「鬼太郎茶屋」で手に入る、鬼太郎御朱印帳やゲゲゲグッズなど。
深大寺の由緒
深大寺の歴史
733年に満功上人が、法相宗の寺として深沙堂を創建しました。
その100年後に武蔵国司・蔵宗の乱が起きます。
降伏させるため、天台宗の恵亮和尚が深大寺で祈祷をします。
乱が収まったので、朝廷は恵亮和尚に深大寺を与え、この時から深大寺は天台宗になりました。
深大寺の伝承
伝承では、福満という男が郷長の娘と恋仲になりますが、二人の結婚に反対する郷長は、娘を池の中の島に隠してしまいます。
福満が深紗大王に祈ると、亀が現れて島に連れて行ってくれ、驚いた郷長も結婚を許します。
この二人の間に生まれた息子が満功上人となり、この地に深紗大王のお堂を建てたのが始まりという伝承があります。
深大寺の御利益
上に書いた福満と郷長の娘の伝承から、深沙堂は縁結びや家内安全の御利益が信じられています。
元三大師堂に祀られる元三大師は厄除けの仏なので、厄除けや病除け、交通安全など。
本堂の阿弥陀如来は極楽往生や現世安穏。
境内の延命観音は延命長寿。
境内の恵比寿尊と大黒天は、商売繁盛などの御利益が信じられています。
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深大寺周辺の新選組ゆかりの地・観光スポット
布多天神社|碑と案内板
近藤勇の孫・近藤久太郎の名が載った、日露戦争の碑があります。
脇に、近藤勇との関係を説明した案内板が立っています。
鳥居を入ってすぐ右手。
原田(谷戸)道場跡|案内板のみ
近藤勇が通ったという、天然理心流の道場、原田(谷戸)道場の跡です。
案内板のみ。
西光寺|銅像、案内板
鳥羽伏見の敗戦後、新選組が甲陽鎮撫隊と名を変えて山梨方面に出陣する時、この寺で休憩しました。
向かいの名主宅でも歓待を受けました。
近藤勇の銅像が建てられています。