流山寺(りゅうさんじ)は、流山に新選組が来た時に隊士が分宿した寺です。
近くの丹後の渡しから新選組が渡ってきて、流山寺と、近くの光明院に分宿しました。
御朱印がありますが、新選組関連の案内などはありません。
ここでは流山寺を紹介します。
流山寺のアクセス・基本情報
流山寺のアクセス・基本情報
住所 | 流山市流山7-579 |
アクセス | 流鉄流山線平和台駅から徒歩9分 |
駐車場 | あり |
関連サイト | 流山寺(流山市観光協会) |
流山寺の地図
流山寺と新選組
恩田家文書に残る「新選組止宿先」流山寺
流山寺(りゅうさんじ)には、流山に来た新選組の隊士たちが分宿していました。
本陣はもっと北の方の、現在の近藤勇陣屋跡に置かれ、そこに近藤勇や土方歳三たちが宿泊。
入りきれない隊士たちは、この流山寺や、その近くの光明院などに分宿しています。
1.5キロ離れた思井(おもい)村の名主が書いた「恩田家文書」に、その記録が残っています。
「江戸方歩兵380人から390人あまりは、去る1日より2日にかけて流山の光明院・流山寺そのほかを借りて止宿(ししゅく)していた。長岡七郎兵衛(しちろべえ)方が本陣となり、この家に大将の大久保大和(近藤勇)と内藤隼人(土方歳三)の両人がおり、そのほかに大勢が止宿していた」
「恩田家文書」慶応4(1868)年4月3日の条
境内に新選組関連の案内板などはなし
境内に新選組関連の案内板などはありません。
本堂などは、火事で焼けて昭和に再建されたものなので、当時の面影はありません。
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流山寺の御朱印
薬師如来の御朱印
本堂左手の庫裡(くり)の玄関チャイムを押して、お寺の方にいただきました。
書き置き(半紙に既に書いてあるもの)ならあるとのことで、書き置きです。
薬師如来の御朱印です。
大黒天の御朱印
管理人はいただいていませんが、ほかに「流山七福神」の一つ、大黒天の御朱印もあります。
流山七福神の御朱印は、通年いただけるようです。
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流山寺の新選組以外の見どころ
大黒天像・猿田彦像
大黒天は流山七福神の一つ。猿田彦像と並んでいます。
六地蔵
六地蔵があります。
太平洋戦争で被弾した句碑
境内に、栢日庵 斗囿(はくじつあん・とゆう 本名:大川斗囿)の句碑があります。
栢日庵 斗囿(はくじつあん・とゆう)は隣の松戸市の俳人で、流山によく出入りしていた小林一茶の弟子です。
太平洋戦争時に空襲で被弾して、句碑に大きな傷跡が残っています。
流山寺の歴史
江戸時代初期に曹洞宗の寺として創建されました。
慶応4年、新選組が流山に来た時、隊士の分宿先になりました。
火事で焼けて、今の建物は昭和40年に再建されたものです。
毎月15日19時に座禅会が行われています。
また、流山寺の眉山俊光(まゆやま としみつ)住職(故人)は、元・流山市長で、境内墓地に墓があります。
流山寺周辺の新選組ゆかりの観光スポット
丹後の渡し
新選組が流山に来る時に使った渡し場。
光明院
流山寺とともに、新選組隊士が分宿した寺。流山寺すぐ近くです。
長流寺
近藤勇忌が開かれているお寺。