東京都港区の新撰組観光地・ゆかりの地

専称寺(沖田総司の墓がある寺)|港区の新選組ゆかりの地・観光スポット

更新日:

専称寺(沖田総司の墓がある寺)

専称寺(沖田総司の墓がある寺)

沖田総司は、千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅で亡くなった後、生誕地に近い現在の港区元麻布の、専称寺に葬られました。
墓地は普段非公開で、年一回の「沖田総司忌」の時のみお墓参りできます。
沖田総司の墓がある専称寺について紹介します。

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専称寺のアクセス・基本情報

専称寺のアクセス・基本情報

住所

港区元麻布3-1-37

アクセス

日比谷線六本木駅から徒歩9分
大江戸線六本木駅から徒歩11分

駐車場

檀家専用のためコインパーキング等利用
六本木ヒルズ駐車場30分300円

関連サイト

浄土宗寺院紹介Navi「専称寺」

専称寺の地図

沖田総司の墓がある専称寺

墓参りは総司忌のみ

専称寺寺額

専称寺寺額

沖田総司の墓は、墓石を削って持ち帰るなどの過激なファンがいたり、お寺に迷惑のかかる事態があったため、現在墓地自体が非公開です。
年に一回、「沖田総司忌」の時だけ、墓地に入っての墓参りができます。
「沖田総司忌」については、主催する「新選組友の会」のサイトで注意事項などをよくご確認ください。
※これ以上お寺やその周辺に御迷惑がかかると、年一回の墓参りも中止になる可能性があるようです。
専称寺には電話や問い合わせは厳禁となっています。
花や供物も受け付けていません。

専称寺の山門や本堂

専称寺の山門

沖田総司の墓がある専称寺の山門

専称寺は、沖田総司が生まれた白河藩下屋敷に近い場所にあります。

専称寺の本堂

専称寺の本堂

本堂は普段は開いておらず、手前の低い門の前から拝む形になります。
残念ながら空襲で焼失して再建しているので、当時の建物ではありません。

塀の外から見える沖田総司の墓

沖田総司の墓を塀の外から見る

専称寺右横の細い道の奥に墓地

山門や本堂の右側の細い道を奥に行くと、低い塀越しに墓地が見えます。

路地の奥、低い塀の向こうに墓地(入れません)

路地の奥、低い塀の向こうに墓地(入れません)

沖田総司の墓は、入口右側の区画の、風化防止のため赤い屋根がかかっている小さな墓になります。

屋根がついているのが沖田総司の墓

屋根がついているのが沖田総司の墓

塀越しに手を合わせてきました。
※くれぐれもお寺の迷惑にならないよう、静かにお参りして、花や供物をその場に残さないようにしましょう。

墓地の入口(普段は閉鎖)

墓地の入口(普段は閉鎖)

以前は、「入口より2列目の通りの右側 赤い屋根のところが沖田総司のお墓です」という貼り紙が、墓地の入口にあたる鉄柵の扉(沖田総司忌以外閉まっています)にあったのですが、2019年にこの写真を撮った時はなくなっていました。
板に何か書いてあるようなのですが、風化して読めず…

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沖田家累代の墓

沖田家累代の墓

赤い屋根より手前の大き目の墓石が沖田家累代の墓

「沖田家累代之墓」は沖田総司の赤い屋根の墓の右側にある大きな墓で、昭和14年に総司の姉・みつの孫の沖田要さんが建立しました。
「北辰一刀流免許皆伝」と書いてあるのですが、実際には北辰一刀流はないのではと言われています。
ほかに天然理心流免許皆伝、近藤勇義弟などの文字があり、沖田総司藤原房良之霊、沖田家累代之墓、沖田芳次郎藤原房政之霊(総司の甥の新徴組隊士)などの文字が刻まれています。

新徴組隊士・沖田芳次郎(甥)の墓も左隣に

新徴組隊士・沖田芳次郎(おきたよしじろう)の墓は、沖田総司の墓の向かって左隣にあります。
沖田芳次郎は、沖田総司の姉・みつと姉婿の林太郎の間の息子で、沖田総司の甥です。
戊辰戦争の時に、新徴組を預かる庄内藩に移住します。
東京に戻って明治19年、新選組六番隊組長・井上源三郎の姪にあたる井上ハナ(新選組隊士・井上泰助の妹)と結婚し、明治21年には宮城県塩竃で製塩などを手がけます。
明治28年に43歳で亡くなり、塩竃の東園寺に葬られましたが、昭和41年に子孫の手でこの専称寺に墓石ごと移転しました。

沖田総司の埋葬と戒名

当時の専称寺と櫻田神社、沖田総司生誕の白河藩下屋敷(江戸切絵図)

当時の専称寺と櫻田神社、沖田総司生誕の白河藩下屋敷(江戸切絵図)

沖田総司は慶応4年5月30日、療養していた千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅の離れで亡くなります。

専称寺の言い伝えでは、総司の遺体は夜中ひそかに寺に運ばれ、こっそり埋葬されたそうである。
(「沖田総司・おもかげ抄」(森満喜子)より)

新政府軍に新選組の沖田総司とわかると、首を取られたりする恐れもあり、匿った植木屋平五郎も罪に問われかねないので、秘密裡の埋葬だったようです。
風化が激しく、あまり読み取れませんが、墓石正面中央には沖田総司の戒名
「賢光院仁誉明道居士」
という戒名が刻まれています。
左右にも別の戒名が刻まれているのは、日野の大野源次郎という人で、沖田総司の義兄・林太郎の生家、井上家(井上源三郎の井上家の分家)の隣の家の人だそう。

義兄の沖田林太郎は、新徴組として庄内藩に行っており、姉のみつも同行して、当時江戸にはいませんでした。
新選組の仲間も江戸を離れていたので、誰が墓を建てたのか不明です。
墓石の左右に戒名を刻まれている大野家か、大野家と親しい沖田林太郎の生家の井上家が関わったのではないかとも推測されています。

墓石の右側面には、小さく「沖田宗治郎」と幼名が刻んであるそう。

専称寺の御朱印対応はなし

専称寺本堂

専称寺本堂

専称寺は現在、御朱印対応をしていません。

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専称寺とは(専称寺の歴史)

浄土宗専称寺

浄土宗専称寺

「専称寺」という名は、「専ら(もっぱら)に称える(となえる)」という意味で、念仏を唱えることを重視する浄土宗に多い寺名です。
この沖田総司菩提寺の専称寺も浄土宗です。
寛永7年(1630年)、戦国大名の筒井順慶の姪で、織田信長の側室だった三光院清心比丘尼という尼僧が創建しました。

港区専称寺周辺の新選組ゆかりの地・観光スポット

櫻田神社

沖田総司が生まれた白河藩下屋敷の前にあり、沖田総司がお宮参りをした神社として知られています。
「沖田総司ゆかりの地」と書かれた御朱印帳や御朱印、隊服デザインの絵馬や願守などがあります。

沖田総司生誕地|何もなし

櫻田神社の裏手。
現在は住宅街で、案内板も何もありません。

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