日野宝泉寺は、新選組六番隊隊長で創設時からのメンバー、井上源三郎の墓がある臨済宗の禅寺です。
日野駅に近く、御朱印もあります。
ここでは日野宝泉寺を紹介します。
日野宝泉寺のアクセス・基本情報
日野宝泉寺のアクセス・基本情報
住所 | 東京都日野市日野本町3-6-9 |
アクセス | JR中央線日野駅から徒歩2分 |
駐車場 | あり |
御朱印 | あり |
関連サイト | 日野市観光協会宝泉寺 |
日野宝泉寺の地図
井上源三郎の墓がある日野宝泉寺
井上源三郎の墓は日野宝泉寺墓地に
宝泉寺には井上家代々の墓があり、井上源三郎の墓もあります。
周辺は「井上」姓の墓がとても多いですが、「誠」の旗が目印になります。
より駐車場に近い側に顕彰碑もあり、そこにも誠の旗があるのでご注意。
写真を撮り忘れていたので、上の写真は一族のお墓です。
旗で隠れている右側の部分に、井上源三郎の戒名の「誠願元忠居士」が刻まれた墓碑が建てられています。
また、写真で見切れている左側に墓誌があり、源三郎の首を持ち帰ろうとして断念した甥の井上泰助や、兄の松五郎の名もあります。
井上源三郎の顕彰碑も日野宝泉寺にある
駐車場の近くに、井上源三郎の顕彰碑があります。
ここも「誠」の旗がありわかりやすいです。
井上源三郎の位牌は高幡不動尊大日堂に
墓は、井上一族の墓があるこの宝泉寺にありますが、位牌は高幡不動尊の大日堂にあります。
近藤勇、土方歳三、沖田総司の位牌とともに並べられています。
高幡不動尊の大日堂にはほかに、新選組隊士の大位牌もあります。
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井上源三郎の命日と鳥羽伏見の戦いと首の行方
井上源三郎の命日は、旧暦で1月5日、新暦で1月29日です。
命日にお参りに行くのもいいですね。
井上源三郎は鳥羽伏見の戦いで銃弾を受けて亡くなりました。
退却する時、甥の泰助(当時12歳の新選組隊士)が、首を故郷に持ち帰ろうとします。
が、首は重いので隊列から遅れ、仲間からも説得されて、途中にあった京の欣浄寺(ごんじょうじ)門前に埋めました。
後年、井上源三郎の兄の子孫が、この欣浄寺前の土を持ち帰っています。
このあたりの経緯は、井上源三郎資料館で展示されています。
このような事情なので、井上源三郎の遺体は、宝泉寺のお墓には入っていません。
故郷の帰る場所として、一族のお墓と同じ墓所にあります。
日野宝泉寺の御朱印
日野宝泉寺の御朱印
日野宝泉寺には御朱印があります。
本堂右側の一軒家のような建物の玄関でチャイムを鳴らしていただきました。
奥様らしき方が親切に対応してくださいました。
「江戸・幕末・維新志士ゆかりの地でいただく御朱印ハンドブック」にも、宝泉寺の御朱印が載っていました。
日野宝泉寺の御朱印帳
御朱印帳は見当たらなかったです。
別の場所で御朱印帳を用意してから行くのがお勧め。
神社と同じ御朱印帳でもいいなら、近くの日野八坂神社でだんだら模様のご朱印帳が頒布されています。
神社とお寺で御朱印帳を分けたいなら、同じ日野市の高幡不動尊に、3種類ほど御朱印帳があります(新選組関連ではないです)。
日野宝泉寺の由来と見どころ
日野宝泉寺の歴史
1330年頃の創建。鎌倉・建長寺の五十九世、曇芳周応が開きました。
1500年代に火災にあって現在地に移転しています。
小田原北条氏から寺領を授けられたり、その後は徳川氏から朱印状(寺社の所領を確定させる文書)を授けられたりしている、歴史あるお寺です。
日野宝泉寺の新選組以外の見どころ
本堂は、平成13年に改築された新しいものです。
本尊は釈迦如来で、ほかに本堂と客殿の間に「馬頭観世音石像」があります。
「持ち上げ観音」と呼ばれ、持ち上げた時にどの程度重く感じるかで吉凶を占ったものです。
日野宝泉寺周辺の新選組観光スポット
井上源三郎資料館|第1・3日曜のみ
井上源三郎の子孫が、井上源三郎生家跡で運営する資料館。
日野八坂神社|御朱印あり
天然理心流が奉納した扁額があり、年2回公開されています。
(鳥居近くの写真はいつでも見られます)
新選組モチーフのだんだら模様表紙の御朱印帳や御朱印があります。
大昌寺
新選組最大の支援者だった佐藤彦五郎と、妻・ノブ(土方歳三の姉)の墓があります。