東京都日野・立川の新撰組観光地・ゆかりの地

大昌寺(佐藤彦五郎・ノブの墓)|日野市の新撰組ゆかりの観光スポット

更新日:

日野大昌寺

日野大昌寺

日野大昌寺は、佐藤彦五郎と、妻・ノブ(土方歳三の姉)の墓がある浄土宗の寺です。
佐藤彦五郎は新選組最大の支援者で、近藤勇とも義兄弟の盃を交わしています。
土方歳三と近藤勇が出会うきっかけを作った、佐藤彦五郎の墓を訪ねました。

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日野大昌寺のアクセス・基本情報

大昌寺のアクセス・基本情報

住所

日野市日野本町2-12-13

アクセス

JR中央線日野駅から徒歩5分

駐車場

あり

御朱印

なし

関連サイト

日野市観光協会大昌寺

大昌寺の地図

日野大昌寺と佐藤彦五郎・ノブたち新選組ゆかりの墓

新選組ゆかりの佐藤家の墓

佐藤彦五郎と妻・ノブ(土方歳三姉)が眠る墓の場所

大昌寺にある佐藤家の墓所

佐藤彦五郎・ノブ(土方歳三姉)の墓は、大きな墓石の左隣の小さな墓碑。

墓地の左奥です。
私が行った時は、「誠」の赤い旗が立っていたので、すぐわかりました。
中央の大きな墓石に、佐藤家の家紋「源氏車」が彫られています。
その左隣に、小さな墓碑群があり、最前列が佐藤彦五郎と妻・ノブ(土方歳三の姉)の墓です。

佐藤彦五郎とノブの墓。左の墓誌に佐藤彦五郎、ノブ、長男の源之助の名がある。

右の小さい墓石が佐藤彦五郎とノブの墓。左の墓誌にも名がある。

法名の「俊正院」「勧善院」が刻まれています。
黒御影石の墓誌が左脇にあり、3番目に彦五郎、4番目にノブの名が刻まれています。

佐藤彦五郎は、自宅(日野宿本陣)に天然理心流道場を開いたことで、出稽古に来た近藤勇と土方歳三が出会うきっかけを作りました。
新選組結成後も、何度も資金面で援助しています。
鳥羽伏見敗戦後は、春日隊を組織して自ら甲州勝沼の戦いに、新選組メンバーとともに参加した、最大の支援者です。

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新選組に入れなかった土方歳三の甥・佐藤源之助も眠る

佐藤家の墓誌

佐藤家の墓誌の5番目は長男の俊宣(源之助)

佐藤彦五郎の長男・源之助(土方歳三の甥)は、土方歳三が江戸に隊士募集に来た時、新選組に入りたいと希望しました。
が、家を継ぐ長男であることと、母・ノブ(土方歳三の姉)の反対で断念しました。
その源之助は、正面の大きな佐藤家の墓に眠っています。
墓誌でノブの次に書かれている「俊宣」が、明治に入ってからの源之助の名前です。

佐藤源之助は新選組に入れませんでしたが、鳥羽伏見の敗戦後、新選組が甲陽鎮撫隊と名を変えて出征した時、春日隊として鉄砲を持って従軍しています。
そのために後に新政府軍に詮議され、春日隊を率いた父・佐藤彦五郎の隠れ先を追及され、刀を没収されました。
甥が捕らえられ刀を没収されたことを知った土方歳三は、拝領した「越前康継」という葵の御紋の入った上等な刀を源之助に贈りました。
その「越前康継」は佐藤彦五郎新選組資料館に残されています。

また、墓誌の左から2番目には、佐藤彦五郎の話を元に「聞きがき新選組」を残した、佐藤彦五郎の孫・佐藤昱(あきら)の名があります。

浪士組の玉川居祐翁(中村太吉)や馬場兵助の墓も大昌寺に

中村太吉の墓

中村太吉の墓

中村太吉と馬場兵助は、佐藤彦五郎の道場で天然理心流を学んだ門人で、日野八坂神社の奉納額にも「中村太吉郎」「馬場兵助」として名を連ねています。
浪士組として近藤勇や土方歳三たちとともに上洛しましたが、清河八郎の倒幕側にくみする思惑が明らかになって、浪士組が瓦解。
中村太吉と馬場兵助は妻子持ちだったことから、近藤勇に帰るよう言われ、沖田林太郎(沖田総司義兄)や佐藤房次郎など、他に妻子持ちだったメンバーと一緒に帰郷します。

その後の中村太吉

中村太吉の墓の案内板

中村太吉(玉川居祐翁)の墓の案内板

中村太吉(玉川居祐翁)の墓本堂脇から墓所に進んで右手4ブロック目です。
日野に帰ってからは、佐藤彦五郎の作った農兵隊に加わり、慶応2年に武州一揆を鎮圧します。
慶応3年には八王子で、徳川幕府を挑発するために挙兵を企てていた薩摩浪士を捕らえた「壺伊勢屋事件」にも出動しています。
鳥羽伏見の敗戦後、新選組が甲陽鎮撫隊と名を変えて出陣した時も、春日隊として一緒に出陣しています。
「玉川居祐翁」は俳句や狂歌を詠む時の雅号です。

その後の馬場兵助

馬場兵助が眠る馬場家の墓所

馬場兵助・市次郎兄弟が眠る馬場家の墓所

馬場家の墓所佐藤彦五郎の墓所に向かって右側に進み、右手の3ブロック目です。
馬場兵助は帰郷した後、同じく浪士組から帰った沖田林太郎(沖田総司の義兄)などと共に新徴組の一員になりました。
新徴組は江戸の市中警備や不逞浪士の取り締まりをしていて、使っている提灯には新選組と同じだんだら模様が描かれていました。
馬場兵助は土方歳三が江戸に隊士募集に来た時、品川の釜屋まで見送りに行くなど、交流がありました。
戊辰戦争では幕府方で庄内戦争を戦い、戦後は庄内で農地の開墾などをした後、明治6年に日野に戻りました。
明治19年に亡くなっています。

馬場市次郎の名(右端)が載った墓誌

馬場市次郎の名(右端)が載った墓誌

弟の馬場市次郎も天然理心流で、日野の農兵隊に入り、薩摩浪士を捕らえた八王子の「壺伊勢屋事件」で亡くなりました。
墓所の横手に建っている墓誌の右端に、市次郎の名があります。
戒名の下に没年月日と、俗名「市次郎」が刻まれています。

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日野大昌寺の御朱印はタイミングが合えば

日野大昌寺の御朱印

日野大昌寺の御朱印

ご不在が多いのですが、お手伝いの方がご在宅の時に「ある」と聞いたので何度か伺ううちにいただけました。
書き置きなどはなく、ご住職とタイミングが合えばいただけるようです。

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日野大昌寺の見どころ・歴史

日野大昌寺の見どころ

本堂

大昌寺

大昌寺本堂

関東大震災で被災して再建したものです。
本尊の阿弥陀如来坐像や、脇侍観世音・勢至両菩薩像があります。

鐘楼(時の鐘)

大昌寺の鐘楼(時の鐘)

大昌寺の鐘楼(時の鐘)

江戸時代、大昌寺の梵鐘は時の鐘として、近郊に時を告げていました。
土方歳三や井上源三郎、近藤勇や沖田総司も聞いただろう時の鐘です。
残念ながら、第二次世界大戦中に供出されてしまい、現在あるのは戦後に新鋳されたものです。

讃誉上人の墓(市史跡)

讃誉上人の墓(市史跡)

讃誉上人の墓(市史跡)

大昌寺を創建した讃誉上人の墓で、自然石が使われ市の史跡になっています。

門前の桜並木

大昌寺門前の桜並木

大昌寺門前の桜並木

3月下旬~4月上旬の桜の季節には、門前の桜並木が綺麗です。

日野大昌寺の歴史

大昌寺の地蔵

大昌寺の地蔵

八王子の大善寺の讃誉上人が、引退後に大昌寺を建立しました。
1602年のことで、日野宿が開かれて間もなく住人の願いを聞いての建立と伝わっています。
江戸時代にはこの寺の梵鐘が時を告げるなど、日野宿全体に親しまれました。

日野大昌寺周辺の新撰組ゆかりの観光スポット

日野宿本陣

佐藤彦五郎が住んでおり、土方歳三が昼寝をしたり近藤勇や沖田総司、井上源三郎が出入りしたゆかりある建物。

佐藤彦五郎新選組資料館

佐藤彦五郎に隊士たちが送った手紙や書、刀、銃、土産などが展示されています。
新選組最大の支援者だけあって、送られてきたものもバラエティ豊かです。

日野八坂神社

佐藤彦五郎も名を連ねる、天然理心流の奉納額があります。

宝泉寺

新選組六番隊組長・井上源三郎の墓があります。

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