東京都港区の新撰組観光地・ゆかりの地

麻布警察署跡地(斎藤一=藤田五郎勤務地)|港区の新選組ゆかりの地・観光スポット

更新日:

麻布警察署跡地(斎藤一=藤田五郎が勤務)

麻布警察署跡地(斎藤一=藤田五郎が勤務した頃の跡地)

麻布警察署は、斎藤一(藤田五郎)が明治21年頃から明治24年1月まで勤めていた場所です。
当時の麻布警察署は、増上寺の近くにありました。今は案内板も何もありません。
ここでは、当時の麻布警察署の跡地と、ここに勤めた当時の斎藤一(藤田五郎)の生活について紹介します。

Sponsored Links

麻布警察署跡(斎藤一=藤田五郎勤務地)のアクセス・基本情報

麻布警察署跡(斎藤一=藤田五郎勤務地)のアクセス・基本情報

住所

東京都港区芝公園4-6-13ENEOS付近

アクセス

大江戸線赤羽橋駅から徒歩5分

駐車場

パラカ港区三田第6(20分600円)など

麻布警察署跡(斎藤一=藤田五郎勤務地)の地図

茶色っぽい三角が敷地、黒い線で囲んだのが建物があったと思われる場所です。

斎藤一(藤田五郎)が勤めた麻布警察署

斎藤一(藤田五郎)が勤めた麻布警察署

斎藤一(藤田五郎)が勤めた当時の麻布警察署跡

斎藤一(藤田五郎)が勤めた当時の麻布警察署跡

斎藤一(藤田五郎)は明治になってから警視庁に勤めていました。
明治21年、満44歳の頃、1~2か月の短い期間勤めた和泉橋警察署(現在の秋葉原駅近くの和泉橋付近)から、麻布警察署に異動します。
階級は警部でした。

斎藤一は明治21年12月から、麻布警察署の撃剣部に入っています。
この頃、現在の泉ガーデンタワー入口付近にあった、生家の山口家の土地を買って、妻・時尾と長男・勉(満12歳)と次男・剛(満9歳)と住んでいました。
当時の麻布警察署があった増上寺近くから家まで、歩いて18分ほどでした。

明治23年1月には、警視庁内の「春季撃剣会」に麻布警察署から出場しています。
明治24年1月まで麻布警察署勤務で、その後2か月ほど本郷警察署(現在の文京区・本富士警察署)に勤めて退職しました。

Sponsored Links

明治20年代当時の麻布警察署の場所

東京五千分ノ一 第6號 東京南部築地及芝 參謀本部陸軍部測量局, 1887.8(明治20年)第6號 東京南部築地及芝 (明治17年測量同19年製版)

東京五千分ノ一 第6號 東京南部築地及芝 參謀本部陸軍部測量局, 1887.8(明治20年)

見切れている右上に増上寺、右中央に芝東照宮があり、その左手には当時の徳川家の墓所(現在は芝公園)があります。
その芝公園の左下あたりに「麻布警察署」の文字があります。
明治17年測量、明治19年製版、明治20年8月発行の地図(既に著作権終了)です。
斎藤一が麻布警察署勤務になったのが明治21年なので、その前年に発行された地図になります。

雑誌などでは以前、斎藤一が勤めた麻布警察署について、明治8年に神谷町の大養寺付近に設立された、と大養寺が紹介してありました。
が、明治20年8月発行の地図で、増上寺の近くに麻布警察署が描かれていることから、斎藤一が勤めた明治21年には既に、麻布警察署は増上寺近くにあったと考えられます。

現在の麻布警察署跡

麻布警察署跡(斎藤一=藤田五郎勤務地)

麻布警察署跡(斎藤一=藤田五郎勤務地)

先ほどの明治の地図に描かれていたのが、写真の場所になります。
現在、エネオスやイワタニ水素ステーションが建つ場所の壁付近から、西側の道路上です。
当時の桜田通り(西側の道)は、今より角度がまっすぐ南へ向かっていて、道幅も狭くなっていました。
水素ステーションなどがある場所には、増上寺の子院である寺が立ち並んでいました。
現在は奥に東京タワーが見えます。

Sponsored Links

麻布警察署を辞めた後の斎藤一(藤田五郎)

明治24年2月~3月、文京区の本郷警察署(現・本富士警察署)に勤めます。
明治24年は、警視庁が人員削減をした年でした。
明治24年4月2日、斎藤一(藤田五郎)は非職を命じられ、同じ日に東京高等師範学校附属東京教育博物館(湯島聖堂構内にあった、現・国立科学博物館の前身)に雇われて、看守(守衛長)となっています。

妻・時尾は明治24年まで、東京女子高等師範学校の寄宿舎の舎監として勤めていました。
しかし体調を崩して、退職することになりました。
そこで、自宅で寄宿舎を運営することにして、本郷真砂町30番地(現・文京区本郷4丁目13~14番地)の家を借りて寄宿舎を始めました。

自宅が寄宿舎を営むかたわら、斎藤一は博物館の看守から東京高等師範学校の撃剣師範となります。
明治32年には東京女子高等師範学校の庶務兼会計掛として雇われ、明治42年、66歳で退職します。

大正4(1915)年9月28日、この寄宿舎を兼ねた家で、斎藤一(藤田五郎)は72歳で息を引き取ります。
胃潰瘍で闘病しており、死を前にして床の間に座布団を重ねさせ、その上にきちんと座って息を引き取ったと伝わっています。

麻布警察署跡周辺の新選組ゆかりの地・観光スポット

最勝院(島田魁たちが明治に謹慎)

島田魁たち、箱館で降伏した新選組隊士が東京に送られた後、謹慎した寺です。
現在は当時の場所から50メートルほど東に移転し、ビルの地下と最上階が寺になっていて、参拝は受け付けていません。
当時の場所は芝公園グランド前交差点の北側で、今は日比谷通りに分断されています。

金地院(近藤勇が建てた近藤周助の墓)

近藤勇が建てた、養父で天然理心流3代目・近藤周助の墓があります。
御朱印あり。

真浄寺(最後の新選組隊士・池田七三郎=稗田利八の墓)

昭和まで長生きした最後の新選組隊士・池田七三郎(稗田利八)の墓があります。
会津の如来堂まで、斎藤一と一緒に戦った隊士です。
御首題あり。

伊予松山藩邸跡(原田左之助勤務地)|何もなし

原田左之助が14歳頃から従卒として勤めていた、伊予松山藩邸の跡です。
現在はイタリア大使館などがあります。
原田左之助はこの松山藩邸で切腹しかけて、腹に一文字の傷が残り、新選組でも酒を飲んではその傷を自慢していました。
案内板も何もありません。

Sponsored Links

-東京都港区の新撰組観光地・ゆかりの地
-, ,

Copyright© 新選組観光なび|ゆかりの地巡りを東京から日帰りで! , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.