埼玉県・神奈川県で御朱印がいただける新選組ゆかりの地を、一覧にまとめました。
埼玉県さいたま市で御朱印がいただける新選組ゆかりの地
薬王院
近藤勇ゆかりの梅の木がある寺です。
慶応4年4月4日、近藤勇が流山から板橋宿に出頭する途中、田島村(現在のさいたま市桜区田島付近)に立ち寄ります。
名主の中村家で休憩して出発する時、近藤勇は庭の梅の木に、歌を詠んだと思われる短冊を結んでいました。
短冊の内容は知られていませんが、この梅が中村家菩提寺の薬王院に移植されています。
墓地にある木のうち、根本が斜めになって割れている小さめの木で、近くに中村家の墓があります。
慶応4年4月4日は新暦に直すと4月26日なので、梅は咲いておらず、青い実がたくさんなっている状態だったと思われます。
住所 | 埼玉県さいたま市桜区田島5-15-5 |
アクセス | JR西浦和駅から徒歩2分 |
関連サイト | さいたま市文化財紹介「薬王院の鰐口」 |
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神奈川県横浜市で御朱印がいただける新選組ゆかりの地
東福寺
新選組隊士・近藤芳助(こんどうよしすけ)の墓がある寺です。
近藤芳助は元治元年の隊士募集で入隊した新選組隊士で、天然理心流の門人です。
会津の母成峠の戦いで新選組とはぐれてしまいますが、靖共隊として米沢に援軍を呼びに行こうとしていた永倉新八と再会して米沢に行きます。
土方歳三が蝦夷地に行ったことを伝え聞いて追おうとしますが、新政府軍に捕まって江戸、静岡、京都などで取り調べや謹慎生活を送るうち、箱館戦争は終わってしまいます。
明治維新後は「川村三郎」と名乗って横浜で県議会議員などをしていて、生き延びた永倉新八や斎藤一とも交流していました。
近藤芳助の墓は、赤門をくぐって左手奥にあります。
台座に「川村家」と書かれ、正面に戒名「清寿院徹心正澄居士」が、妻の戒名とともに刻まれています。
住所 | 横浜市西区赤門町2-17 |
アクセス | 京急本線黄金町駅から徒歩5分 |
関連サイト | 横浜市公式サイト「赤門東福寺」 |