原田(谷戸)道場跡は調布市にある、近藤勇が初めて天然理心流を習ったと伝わる道場の跡です。
現在はマンションになっていて、そばに近藤勇と道場についての説明板があります。
「近藤勇」誕生のきっかけとも言える原田(谷戸)道場跡を紹介します。
調布市原田(谷戸)道場跡のアクセス・基本情報
原田(谷戸)道場跡のアクセス・基本情報
住所 | 調布市国領町1-30 |
アクセス | 京王線布田駅から徒歩5分 |
駐車場 | MKパーク国領町60分200円 |
原田(谷戸)道場跡の地図
近藤勇が初めて剣を習った原田(谷戸)道場跡
近藤勇が剣を習った場所に案内板
国領宿のこの場所に、原田忠司が開いた天然理心流道場がありました。
近藤勇は一説では、この道場に通って天然理心流を学びました。
そして、原田忠司が近藤勇の才能を見抜いて、近藤周助(のちに近藤勇の養父になる)に引き合わせたとも伝わります。
鳥羽伏見の戦いで敗戦後、新選組が甲陽鎮撫隊と名を変えて甲州(山梨)に出陣し、この道場前にあった甲州街道を通りました。
この時、近藤勇が原田道場に挨拶に立ち寄ったという逸話もあります。
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原田(谷戸)道場跡案内板の場所
京王線布田駅から歩いて5分ほどの場所にあります。
フェルミエというマンションの前で、目立たないのでさっと見ただけでは見落とします。
「谷戸農園」の看板と並んでいました。
マンション隣には谷戸農園に入る道があり、さらに隣にはキッズデュオという英語学童があります。
斜め向かい側には「新寿し」や鳥肉専門店があります。
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近藤勇に剣を教えた原田(谷戸)忠司とは
原田忠司は天然理心流の門人で、近藤周助(のちに近藤勇の養父になる)の弟子でした。
試衛館では近藤周助の補佐を務めていました。
町田の小島家にも、近藤勇が出稽古に行くようになる前は、原田忠司がよく出稽古に行っていた記録があります。
国領宿名主・谷戸家の分家の跡取りとなり(ここから谷戸忠司とも)、道場を開きました。
ここに近藤勇が通ってきて、原田忠司が才能を見出し、近藤周助に引き合わせます。
のちに近藤勇が、天然理心流襲名披露の野試合を開いた時には、原田忠司は軍目付役で本陣に参加していました。
本陣には、総大将の近藤勇と、軍奉行役の沖田林太郎(沖田総司の姉の夫)、太鼓役の沖田総司、鉦(しょう・打楽器)役の井上源三郎も共にいました。
(土方歳三と山南敬助は紅組で、佐藤彦五郎率いる白組と戦っていました)
試衛館の高弟として、先代・近藤周助の補佐として、近藤勇だけでなく、のちに新選組になるメンバーとも交流があったと思われます。
原田忠司は明治26年没、墓は道場跡近くの常性寺(調布市国領町1-2-8)、谷戸家の墓所にあります。
調布市原田(谷戸)道場跡周辺の新撰組ゆかりの地観光スポット
上布田宿の近藤勇案内板
国領宿の2つ先の上布田宿に、「近藤勇が上布田宿に滞在した伊東玄朴(蘭方医)に診察を受けて全快した」案内板があります。
布多天神社の日露戦争の碑(近藤勇の孫の名あり)
布多天神社の鳥居を入ってすぐ右に、近藤勇の孫・久太郎の名が載った日露戦争戦没者の碑があります。
近藤勇との関係を説明した案内板が立っています。
調布市郷土博物館
近藤勇の座像あり。2階に近藤勇生家の復元模型があり、自由に取れる配布物の中には近藤勇生家についてのものや、布田宿について説明したものもあります。