3月31日、春の東光寺ツアーに行ってきました!
時間が経ってしまいましたが、来年以降参加したい方や気になってる方の参考になればと思うのでレポします。
春の東光寺道ツアーって?
土方歳三と佐藤彦五郎がたどった道を行くツアー
春の東光寺道ツアーは、日野新選組ガイドの会が主催している、日野から八王子への日帰りウォーキングツアーです。
(秋にも開催される年もあったようです)
土方歳三が慶応元年、隊士募集に江戸に帰った時、義兄の佐藤彦五郎とともに、現在の八王子平町にあった東照宮(現存せず、御神体を収めた小さい祠は個人宅内で非公開)に参拝に行きました。
この時土方歳三たちが通った、「東光寺道」という日野用水に沿った道を歩いてみよう&東光寺道沿いにある史跡を見学しよう、というウォーキングツアーです。
春の東光寺道ツアーのコース
2019年の場合ですが、コースは
(9:00集合)日野宿本陣→佐藤彦五郎資料館(ツアー限定展示など)→日野宮神社→東光寺成就院→カタクリ群生地→多摩川築地河原(武州一揆跡)→日野用取水堰→平町会館(昼食)→平町東照宮(ツアー限定での参拝)→大蔵院(佐藤彦五郎をかくまった寺)→西玉神社→平町バス停(15:00解散)
でした。
春の東光寺道ツアーの目玉
一番の目玉はやはり、普段個人宅内で非公開な平町の東照宮に参拝できること。
土方歳三が参拝した当時の建物はもう残っていませんが、小さな祠と御神体が残っていて、
参拝させていただけました。
東照宮を管理していた平(たいら)家(土方歳三の親類)ご子孫の方にも、詳しいお話を聞かせていただけました。
平(たいら)家は土方歳三に関するエピソードがいくつも残っている場所。
当時の建物はないものの、普段入れないその場所に行けるだけでもファンにとっては嬉しいツアーです。
東光寺道ツアーの申し込みは日野市観光協会のサイト
2019年は日野市の観光協会のサイトに書いてある通りに、メールで申し込みをしました。
春のツアーは桜の季節頃にやってるようなので、日野の観光協会のサイトをチェックしておくといいですよ。
その日のうちに返信が来て、参加受付されたことがわかりました。
東光寺道ツアーの持ち物など
私が参加した日は、朝夕は風が冷たく、日中は歩いていれば暖かい日でした。
- 昼食(必須)
- ペットボトルなど飲み物(必須)
- 動きやすく寒暖を調節しやすい服装(必須)
- 履き慣れた靴(必須)
- 日差しが気になる方は帽子など
があるといいかと思います。
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日野宿本陣に集合して出発
日野宿本陣に集合
9時に日野宿本陣に集合です。
行くと既に、けっこうな人数が集まっていました。
参加人数が多いということで、受付で2組に別れます。
見学する場所に入りきれないなどの事情もあり、午前中は2組に別れての行動になりました。
休館日 | 毎週月曜日(祝日にあたる日はその翌平日)、年末年始(12月29日~1月3日) |
開館時間 | 9時30分~17時00分(入館は16時30分まで) |
住所 | 日野市日野本町2-15-9 |
アクセス | JR中央線日野駅から徒歩10分 |
公式サイト | 日野宿本陣 |
日野宿本陣を見学
何度来ても楽しい日野宿本陣。
改めてガイドさんの説明を聞きました。
佐藤彦五郎新選組資料館へ
東光寺道ツアーでの特別展示
東光寺道ツアーだけの特別展示として今回は、佐藤彦五郎が名字を許された時に拝領した文箱(苗字を許すという書類が入っていたもの)が展示されていました。
また、5/6までやっていた羽生家文書の展示期間だったので、そちらも見学させていただきました。
油小路の変当日に書かれた、三浦休太郎の護衛についていた斎藤一を呼び戻した件について
「二郎(斎藤一)を断りなく引き取って、急なことで説明もなく申し訳ない」
という内容の手紙でした。
油小路の変で伊東甲子太郎を襲撃するために、斎藤一を呼び戻したと考えられています。
斎藤一がこの時期にはもう「山口二郎」と名乗っていたということがわかるのも貴重だそう。
開館日 | 原則、第1・3日曜日 |
開館時間 | 11:00〜16:00 |
住所 | 日野市日野本町2丁目15-5 |
アクセス | JR中央線日野駅から徒歩8分 |
御朱印 | あり |
公式サイト | 佐藤彦五郎新選組資料館 |
資料館前で記念撮影
資料館前で記念撮影して次に向かいました。
集合写真ですが写りたくない方は脇によけるか、一番後ろで人に隠れるなどもできるかと思います。
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日野用水の説明など受けつつ歩く
日野の高札場跡
日野図書館の脇に問屋場・高札場跡の碑がありました。
跡地に図書館が建ったそう。
問屋場は、宿場業務をする役所。
高札場は幕府が決めた掟などを貼り出しておく場所です。
金子橋の欄干
日野のメインストリートにある昭和シェルに、橋の欄干型の碑がありました。
かつてここを日野用水が流れていて、金子橋という橋があったそう。
当時の欄干ではなく、金子橋の存在を知らせるために作ってある欄干のようです。
近くに、井上源三郎が通った日野義貴(ひのよしたか)の寺子屋もあったようですね。
日野用水
日野駅前交差点から裏道に入るところに、暗渠に入る前の日野用水が流れていました。
ここから暗渠でメインストリートを横切り、大昌寺などの方に流れていくんですね。
明治21年以降日野の産業となった、日野煉瓦が使われています。
薬王寺
日野宮神社に行く途中に通った薬王寺。
しだれ桜が綺麗でした!
薬王寺は、日野宮神社の別当寺(神社を管理する寺)でした。
江戸時代に宿場ができてからは、現在の日野宿本陣から八坂神社のあたりが繁栄するようになりました。
それ以前に栄えていた日野の古い町がこのあたりと言われています。
付近には栄町遺跡、四ッ谷前遺跡など、古い時代から栄えていたことがわかる遺跡があります。
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日野宮神社
しばらく歩いて日野宮神社へ。
日野宮神社の成り立ち
かつて、府中にあった武蔵国国府に派遣された日奉宗頼(ひまつりのむねより)という人がいました。
日奉宗頼は任期が終わっても帰らずに住み付き、その孫が多摩で勢力を持っていた武士団「武蔵七党」の一つ、「西党」を作りました。
そして子孫が、祖先である日奉宗頼を祀って日野宮神社を作りました。
「日野」という地名の語源とも言われています。
(上の写真は別の季節に行った時撮ったものです)
氏子さんによるうなぎ伝説などの説明
拝殿に入れていただき、氏子さんによる、虚空蔵菩薩やうなぎ伝説の説明がありました。
虚空蔵菩薩は古くからこの地域で祀られていて、祀っていた場所がなくなったために日野宮神社に来たそう。
虚空蔵菩薩の衣装のひれが、うなぎのように見えることから、うなぎが虚空蔵菩薩の使いということになりました。
そのためこの地域では、うなぎを食べると加護を得られなくなると考えられ、ご高齢の氏子さんも、人生で一度もうなぎを食べたことはないそうです。
うなぎ屋さんもこの地区にはないとか。
普段非公開の御本尊に拝観
ここの虚空蔵菩薩などは普段非公開なのですが、このツアー限定で拝観させていただけました。
こういう、「このツアー限定で拝観」というのがあるのが、ツアーの醍醐味ですね。
写真も撮らせていただいたのですが、掲載していいかどうか聞いていないので、外の看板の写真を載せておきます。
昭和に修復したそうでピカピカでした。
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日野用水沿いから東光寺を経て八王子へ
日野用水沿いの桜並木!
桜がちょうど見頃でした!
ガイドさんは、ツアーの時に桜が咲いてるといいなあとドキドキしてたそうです。
成就院東光寺
日奉宗頼(ひまつりのむねより)が、城の鬼門を守る寺として作ったのが東光寺でした。
日奉氏は日野宮神社に祀られている、この地域で力を持っていた武士団の祖先ですね。
東光寺自体はなくなったのですが、その子院だった成就院が残っています。
東光寺にお参りする道だから、東光寺道だったんですね。
1794年に建てられたものなので、土方歳三も八王子に向かう時に見ていたかもしれません。
境内に薬師堂があり、こちらはツアーの参加者の中に、「自分が子供の頃はもっと向こうに建っていた」という生き証人がいらっしゃいました。
後で調べたところ、1580年に建てられたものを、昭和に現在の位置に移築したものだそう。
東光寺大橋の碑
東光寺道が日野用水を渡るところに石橋をかけたことを記念して1846年に建てられた碑がありました。
橋は現存しないのですが、土方歳三が東光寺道を通った時には橋と碑があったはず。
水車堀公園
当時はたくさんの水車が日野用水にかけられて、製粉などに使われていました。
カタクリ群生地
カタクリの花、初めて見ました!
桜と同時期に見頃になるようです。
芽が出てから花が咲くまでに8年もかかるため、一度減るとあっという間に群生地はなくなってしまうのだとか。
貴重なものを見せていただきました。
新旭橋
写真を撮らなかったのですが、新旭橋と並行して、日野用水が橋で川を渡っている場所です。
ここを越えると向こう岸は八王子です。
お茶屋の松で休憩
新旭橋から少し行ったところに、昭和40年代まで大木があったという「お茶屋の松」がありました。
ここで少し休憩。
この後の歩きが長かったです。
それまでガイドさんとおしゃべりしたり、参加者同士で喋っていた面々も、河原に出る頃には疲れからだんだん無口に…
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武州一揆があった多摩川・築地河原を歩く
現在の多摩川・築地河原
多摩大橋のあたりから、東光寺道を外れて多摩川の川べりに出ました。
だいぶ歩いて疲れていましたが、風が気持ちよかったです。
お花見している人たちもいました。
武州一揆と佐藤彦五郎の農兵隊
飢饉や米の高騰で多摩で起きた武州一揆が、この川の対岸(現在は昭島市の河原にあるくじら運動公園あたり)まで押し寄せました。
日野で農兵隊を作っていた佐藤彦五郎(土方歳三の義兄)は、八王子側の築地(ついじ)の渡し付近に陣取り、導入していた鉄砲で武州一揆を鎮圧します。
打ち壊しに参加しない者の家も打ち壊す、という一揆だったため、一揆勢に多摩川を渡らせないのは自衛の意味もありました。
(名主や豪商など、お金や米がありそうな家は狙われ、財宝などを奪われていました)
このおかげで八王子は打ち壊しの被害に遭いませんでした。
そのため、八王子宿に凱旋すると大歓迎を受けたそうです。
佐藤彦五郎はこの手柄で、子の代まで苗字を名乗ることを許されています。
(説明を一部聞き逃したのですが、これが最初の方に佐藤彦五郎新選組資料館に特別展示してあった文箱のいわれかと思います)
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粟の須村と井上忠左衛門
現在、八王子水再生センターがあるあたりから南の方に、粟の須村という村がありました。
佐藤彦五郎と妻・ノブと次女・ともと女中が、大蔵院に逃げる途中で通りました。
粟の須村名主の井上忠左衛門は、天然理心流門人で、佐藤彦五郎とは遠縁の親族にあたります。
大蔵院に逃げた佐藤彦五郎に「官軍が来そうだ」と危険を知らせに行ったのは、この井上忠左衛門です。
さらに、佐藤彦五郎と別々に逃げた長男の源之助が、一時かくまってもらったのも、井上忠左衛門の家です。
武州一揆や、佐藤彦五郎の逃避行のことは、佐藤彦五郎の孫がまとめた「聞きがき新選組」に詳しく書かれています。
ツアーに行く前に目を通していると、「ここが『聞きがき新選組』で出てきたあの……!」と、より楽しめるかも。
ほかにも、佐藤彦五郎が見た新選組メンバーのエピソードが出てきます。
八高線の陸橋も
さらに河原を歩いていくと、八高線の陸橋も。
家康が渡った平の渡しと日野用水取水口
河原をけっこう歩いて、日野用水の取水口に出ました。
その近くに、家康が渡った平(たいら)の渡しが。
1590年に徳川家康が八王子一帯の視察に来ます。
名主の平(たいら)家が道案内をし、平の渡しの浅瀬を、家康を背負って渡ります。
この平家は土方家の親類で、土方歳三の曾祖母の実家にあたりました。
土方歳三もよく来ていたようです。
平町会館で昼食
お天気がよかったので、河原や公園で桜を見ながら食べてもよし。
平町会館内で食べてもよし。
という感じでした。
河原の小さな公園の桜が綺麗でした。
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いよいよ平町東照宮
個人宅なので地図などは載せません。
普段は非公開なので、このツアーだけの公開です。
平家のご子孫の方がいろいろ説明してくださいました!
平町東照宮は土方歳三の親類の平家に
徳川家康が視察に来て、平(たいら)家が道案内をした時、家康が礼として、洪武通宝という大きな貨幣を扇に乗せて渡しました。
この洪武通宝と扇を御神体として、平町の東照宮が作られました。
東照宮の祭神は徳川家康。
当時、東照宮を作って家康を祀った村は、夫役(ぶやく・村に課される工事や雑用などの労働)の免除などの特典があったそうです。
そのため、少しでも家康にゆかりの品がある村は競って東照宮を作ったそう。
平家のご子孫が持っていた、全国の東照宮が載っている冊子には、「家康が来た時に使ったゴザ」などを御神体にしている東照宮もあったようです。
東照宮を祀ることで徳川家を尊いものと感じて、さらに特典があることで恩を感じて一揆などを起こしにくくなる…
夫役は他の村から集めればいいだけですし、東照宮を作らせる広告宣伝効果がものすごいですね。
1600年代にそんなシステムを作った徳川幕府がすごい…
なくなった東照宮と現在のほこら
東照宮は、現在の平家ご当主の先代の頃、管理が間に合わず、傷んでいたのに建て替えるための補助金などもなくてどうにもならず、取り壊されてしまったそう。
現在は御神体を祀る小さなほこらが、平家の敷地内に建てられています。
御神体の洪武通宝と扇を見せていただきました。
硬貨というと現在の硬貨くらいの大きさを想像しますが、一枚が手のひらくらいある巨大な硬貨でした。
土方歳三がお参りした御神体にお参りさせていただきました!
日光勤番と平町東照宮
半農半武の、新選組とのつながりも深い「八王子千人同心」は、「日光勤番」という日光東照宮の火の番を受け持ち、日光へ赴任していました。
すぐ近くが日光街道で、八王子千人同心は、故郷を離れて日光に赴く時、この平家の東照宮に参拝して旅の無事や武運長久を祈ったそうです。
そういう伝統があることから、将軍家のために働く土方歳三も、隊士募集に帰った忙しい時期に、この平家の東照宮にお参りに来たと思われます。
日光街道、現在は農道のような細い道でした。
このままの広さではなかったかもしれませんね。
でも昔は車も通らないので、街道が細い道でもよかったのかも。
土方歳三が来ていた平家
親類である平家には、土方歳三のエピソードがいくつもあります。
平家の葬儀で、親類の履物を土方歳三が間違えずに管理したエピソードとか。
甲陽鎮撫隊に行く前にちょっと挨拶に寄ったら、平家のおばあさんに「ぼた餅を食べていきなさい」と言われたエピソードも。
急ぐから、と食べずに出発しようとした土方歳三を、おばあさんが「ぼた餅一つも食っていけないようで、戦争に勝てるか」と叱り、土方歳三は無下にせず、ぼた餅を食べてから出発したそうです。
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佐藤彦五郎が逃げてきた大蔵院
平町東照宮の後は、大蔵院に向かいました。
平家の菩提寺だった大蔵院
大蔵院は、平(たいら)家の先祖・小野大蔵の戒名「大蔵院」から寺名を取っています。
小野大蔵の3男が出家して、大蔵院の住職になったそうです。
そのため平(たいら)家の菩提寺になっています。
土方歳三が履物を整理した平(たいら)家の法要でも、呼ばれていたお坊さんは大蔵院の方だったのでしょうね。
逃げてきた佐藤彦五郎
鳥羽伏見の敗戦後、新選組は「甲陽鎮撫隊」と名を変えて甲州(山梨)方面に出陣します。
佐藤彦五郎は「春日隊」という農兵隊を率いて、甲陽鎮撫隊と一緒に戦います。
そのため、甲州での敗戦後、新政府軍に追われることになりました。
佐藤彦五郎と妻ののぶ(土方歳三の姉)は、次女のとも(5歳)を女中に背負わせて、東光寺道を走って逃げます。
以前から付き合いのあった平(たいら)家の人に案内してもらい、平家菩提寺の大蔵院に匿われます。
ところが、尼僧に茶を出してもらってホッとしたところで、新政府軍が来そうだと知らせが来ます。
(知らせてくれたのは天然理心流の門人で、このツアーで途中通ってきた八王子水再生センターのあたり、粟の須村の名主・井上忠左衛門でした)
慌てて草鞋を履いて、裏山をよじ登り、峰伝いに西へと走って逃げました。
暗くなった裏山を上る白足袋だけが、チラチラ見えていたということです。
尼僧が佐藤彦五郎たちに焼きおにぎりを作っていましたが、それが出来上がる暇もなく逃げています。
新政府軍が大蔵院を取り囲んで踏み込んだ時、尼僧がまだおにぎりを焼いている途中でした。
しかし奥の間を開けても佐藤彦五郎はおらず、付近を捜索しても発見できず、引き上げたそうです。
佐藤彦五郎は大蔵院から逃げて、西多摩郡二宮村の茂平家にたどりつき、さらにその案内で、日之出町の羽生家に着きました。
そこでしばらく匿われていました。
ツアーの最初の方で、佐藤彦五郎新選組資料館に期間限定展示されていた「羽生家に伝わる近藤勇の手紙」は、この時に佐藤彦五郎が置いてきたものだそうです。
忘れていったでんでん太鼓
ご住職が子供の頃、当時の佐藤家の方と当時の大蔵院住職さんが話しているのを聞いたそうです。
「でんでん太鼓」を忘れていっていなかったか、いや見つかっていない、という話をしていたそう。
これは幼児だった次女のともをあやすために持ってきていたのだろうということです。
当時の欄間が残る大蔵院
大蔵院は老朽化で、昭和47年に建て直されています。
佐藤彦五郎が逃げてきた当時のものとしては、本堂にあった欄間の彫刻が、現在の本堂に移設されています。
住所 | 八王子市平町249-1 |
アクセス | JR日野駅から「日21(西東京)系統」バス宇津木台行乗車、「宇津木台」バス停下車徒歩7分 JR・京王八王子駅から「バ01」系統バス宇津木台行乗車、「宇津木台」バス停下車徒歩7分 |
公式サイト | 大蔵院facebook |
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佐藤彦五郎が登った裏山・西玊神社
平町東照宮の狛犬が移設
土方歳三が参拝した当時の平町東照宮は、取り壊されてしまいました。
が、当時の平町東照宮の装飾に使われていた木彫りの小さい狛犬が、西玊神社に移設されています。
拝殿正面上の小さな狛犬です。
佐藤彦五郎が登った裏山
佐藤彦五郎は大蔵院から、ここを登ってきたんですね。
西玉神社の裏手のバス停の方に登り、裏側から見ると葵のご紋が。
西玊神社は元々は大国主命を祀っていた神社でしたが、平村に縁があった徳川家康も合わせて祀ったので、葵のご紋になっています。
住所 | 東京都八王子市平町414-1 |
アクセス | JR日野駅から「日21系統(西東京)」バス宇津木台行乗車、「平町」バス停下車徒歩1分 JR八王子駅から「バ01系統」バス宇津木台行乗車、「平町」バス停下車徒歩1分 |
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平町バス停で解散
15時過ぎに、西玊神社の裏手にある平町バス停で解散しました。
日野駅行と八王子駅行のバスが出ているので、都合のいい方に乗って帰ります。
東光寺道ツアーに参加して
一人で参加しても大丈夫?
もちろんお友達との参加の方も多いですが、一人参加の方もけっこういました。
ガイドさんの近くを歩けばお話を聞けるし、道々ガイドさんに質問したり会話をしたり、ツアーに同行してくださっていた佐藤彦五郎とノブのご子孫・佐藤福子さんとお話したりしている方が多かったですね。
友達と行くと友達と会話をしながら歩くことが多くなりますが、一人参加だと普段知らないようなお話を伺う機会が多くなるので、お得かも。
東光寺道ツアーの感想
とにかく、普段参拝できない平町東照宮に参拝できたのが嬉しかったです。
普段聞けないようなお話もいろいろ聞けて大満足です。
土方歳三や井上源三郎を育てた、日野という町の成り立ちについてもわかって新鮮でした。
普段運動していないため、思ったよりかなり歩き疲れました(昔の人の健脚っぷりを思い知りました)が、それでも行く価値があると思いました。