文京区の智香寺には、12歳の新選組隊士・田村銀之助の墓があります。
ここでは、近藤勇や土方歳三の小姓をし、伊庭八郎を看取った田村銀之助の墓や、田村銀之助の生涯と、墓がある智香寺を紹介します。
智香寺のアクセス・基本情報
智香寺のアクセス・基本情報
住所 | 東京都文京区大塚3丁目28−12 |
アクセス | 丸の内線茗荷谷駅から徒歩8分 |
駐車場 | なし 周辺コインパーキング パラカ文京区大塚第4(20分200円)など |
関連サイト | 浄土宗寺院紹介Navi「智香寺」 |
智香寺の地図
智香寺にある新選組隊士・田村銀之助の墓
田村銀之助の墓の場所
智香寺の本堂前、本堂に向かって右手に、注意書きの看板と木があります。
その看板がある木の前を通って奥側(門と反対の側)に進み、11基目に「田村家之墓」があります。
田村銀之助の墓
田村銀之助は「田村家之墓」に合葬されています。
墓の右側面を見ると、一族の戒名や俗名、命日が並んで彫られています。
その一番右に「諦善院念誉覚道居士」の戒名(一部旧字です)と、「大正十三年八月二十日」「俗名 田村銀之助」と刻まれています。
「丸に亀甲の左三つ巴」という珍しい家紋も正面に刻まれています。
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田村銀之助が残した史談会速記録の談話
田村銀之助は、安政3(1856)年生まれ。
慶応3(1867)年、12歳で兄の田村一郎・田村録四郎と新選組に入ります。
若年だったため、近藤勇や土方歳三付きの小姓をしていました。
明治になってから、明治維新の口伝を集めて史料にすることを目的に「史談会」が作られ、幕末を生きた人々の談話集である「史談会速記録」が編纂されます。
ここで田村銀之助は、五兵衛新田から流山を経て会津に行き、仙台から箱館に渡り、箱館で降伏するまでのことを詳しく語って、貴重な資料を残しています。
流山から落ち延びる隊士たちの慌てた様子や、会津から仙台に行く道中の混乱、箱館では籠城中の五稜郭の様子などが、田村銀之助が語った部分からわかります。
箱館では田村銀之助は、彰義隊頭取で箱館では陸軍歩兵を率いていた、春日左衛門(かすがさえもん)の養子になります。
そのため新選組から離れて就学のためフランス人士官ブリュネに師事して学び、明治2年5月には五稜郭に戻って榎本武揚付きの小姓となります。
明治2(1869)年5月11日、箱館・四稜郭方面の桔梗野の戦いに出陣しますが、そこで養父の春日左衛門が重傷を負い、戻ってからは五稜郭内で養父の看病をしました。
4月の木古内の戦いで重傷を負った遊撃隊の伊庭八郎も、負傷者が運ばれる湯の川(温泉があり、湯治ができた)ではなく戦場である五稜郭に残ることを希望して、同じ部屋で療養していました。
養父の春日左衛門も伊庭八郎も当時の医学では助かる方法がなく、死にきれずに苦しみ、同じ部屋でモルヒネで服毒自殺します。
その様子を田村銀之助が見て、後に語っています。
養父を失った後は、榎本武揚や大鳥圭介に何度も五稜郭を脱出するよう勧められますが、「十五の年で命が惜しければ、五十でも惜しい」と拒否し、五稜郭に残る人々と盃を交わしています。
箱館戦争後の田村銀之助
五稜郭の開城後、田村銀之助は青森県弘前市の薬王院で謹慎しますが、年若いことから学術修行のためという名目で謹慎が解かれ、東京に帰りました。
明治10年には陸軍下士官として西南戦争に出征します。
北海道開拓使にも勤めました。
晩年には、旧幕臣の会「同方会」にも参加して、会員だった新選組隊士・近藤芳助(明治には川村三郎と名乗る)と旧交を温めています。
大正13(1924)年、69歳で亡くなり、智香寺に葬られます。
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文京区智香寺の御朱印はなし
お寺の方に確認したところ、智香寺では御朱印はやっていないそうです。
智香寺の境内
山門
細い道路から石段を上がると山門があります。
本堂
第三十代住職・松川文豪上人の石塔
平成26(2014)年に亡くなった第三十代住職、松川文豪上人の石塔があります。
松川文豪上人は経営が傾いていた聖橋学園の存続のため、買い取って学校法人智香寺学園とするなど、教育面に力を注いだ人物です。
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智香寺の歴史
智香寺は徳川家康の生母・於大の方が荼毘に付された場所に、正保元(1644)年に創建された浄土宗の寺です。
当時はもっと伝通院や新福寺に近く、現在の竹早公園と文京区立第一中学校の場所にありました。
幕末にも、田村銀之助が葬られた大正にもその場所にありましたが、昭和20(1945)年に空襲で焼け、区画整理で墓地ごと現在の場所に移転しています。
昭和47(1972)年、三十代住職の松川文豪上人が、経営の傾いていた聖橋学園を買い取り、学校法人智香寺学園とします。
埼玉県深谷にある、正智深谷高等学校と埼玉工業大学が智香寺学園グループです。
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智香寺周辺の新選組ゆかりの地・観光スポット
新福寺
近藤勇や土方歳三が、隊士募集に江戸に戻った時に一時滞在した寺です。
近藤勇が手紙の中で「自分は新福寺に寓住(一時滞在)していた」と述べています。
近藤勇に同行した永倉新八、武田観柳斎、尾形俊太郎や、土方歳三に同行した井上源三郎も出入りしたと思われます。
山岡鉄舟・高橋泥舟宅跡|案内板のみ
浪士組結成前に、近藤勇が訪れた山岡鉄舟の家の跡です。
高橋泥舟と隣り合って住んでいましたが、現在は案内板だけです。
浪士組を結成した清河八郎も、京から戻った後身を寄せていました。
護国寺(谷口四郎兵衛の墓)|御朱印あり
護国寺の西の端にある共葬墓地に、新選組隊士・谷口四郎兵衛の墓があります。
他に大隈重信や三条実美、山縣有朋など、維新関連や明治期の重要人物の墓も多くあります。