文京区には、新選組の母体・浪士組の結成の地、伝通院(処静院跡)があります。
斎藤一の勤務地でもあり、斎藤一や永倉新八が明治に住んだ土地でもあり、近藤勇や土方歳三が泊まった寺もあり、隊士の谷口四郎兵衛や田村銀之助の墓もあるなど、新選組との縁の深い土地です。
後楽園駅・春日駅エリアの新選組ゆかりの地・観光スポット
伝通院・処静院跡(浪士組結成地)|御朱印あり
文久3年2月4日と5日、伝通院の塔頭(たっちゅう・境内の子院の一つ)の処静院(しょじょういん)で、浪士組結成の会合が開かれました。
2月8日、京に出発する時にも、処静院に集まっています。
この時、試衛館組の近藤勇、土方歳三、山南敬助、沖田総司、永倉新八、井上源三郎、藤堂平助、原田左之助のほか、芹沢一派の芹沢鴨、新見錦、野口健司、平山五郎、平間重助や、後で新選組に入らず江戸に戻る沖田林太郎(沖田総司義兄)、天然理心流門人の中村太吉や馬場兵助、佐藤房次郎などが処静院に集まっています。
(斎藤一は京で合流したので、ここには来ていません)
処静院は火災で廃寺になってしまいましたが、当時処静院の前にあった石柱が、現在の伝通院の山門前にあります。
そこから左に進むと墓地沿いの塀ぎわに、どこに処静院があったかの案内板があります。
処静院は現在の伝通院境内ではなく、墓地沿いの案内板をもう少し先に行ったあたりにありました。
また、伝通院には浪士組結成者の清河八郎の墓があります。
御朱印もあり。
住所 | 東京都文京区小石川3丁目14-6 |
アクセス | メトロ南北線・丸の内線後楽園駅から徒歩10分 |
公式サイト | 伝通院公式サイト |
永倉新八居住地(現・セブンイレブン)|何もなし
永倉新八が明治24(1891)年11月から明治25(1892)年2月までの3か月ほど、52歳の時に、妻のよね、長男の義太郎、姪(次女という説も)のゆきとともに住んでいた場所です。
当時は「小石川掃除町36番地」という地名でした。
現在はセブンイレブンなどが入ったビルになっています。
明治25年2月に、ここから南の近所、現在バーミヤンやジョナサンの入ったビルになっている場所に引っ越しました。
目の前の白山通りは、浪士組が上洛する時に通った道です。
住所 | 文京区小石川1-28-1 |
アクセス | 三田線春日駅から徒歩7分 大江戸線春日駅から徒歩10分 |
永倉新八居住地(現・ジョナサン・バーミヤンなど)|何もなし
永倉新八が、明治25(1892)年2月から明治28(1895)年5月まで、53歳から57歳までの3年ほど、妻のよね、長男の義太郎、姪(次女という説も)のゆきとともに住んでいた場所です。
ここから北の近所、セブンイレブンなどが入ったビルになっている場所から引っ越してきました。
目の前の白山通りは、浪士組が上洛する時に通った道です。
ここに住んでいた明治27(1894)年、55歳の時に日清戦争が起きます。
永倉新八は、会津で面識のあった山川浩(当時予備陸軍少将)に頼んで抜刀隊を組織してもらって戦おうとしましたが、山川浩ともども「お気持ちだけ」と断られてしまいます。
この時、「元新選組の手を借りたとなっては、薩摩の面目まるつぶれというわけかい」と笑ったという逸話があります。
住所 | 文京区小石川1-17 |
アクセス | 三田線春日駅から徒歩7分 大江戸線春日駅から徒歩9分 |
ジョナサン小石川柳町店
永倉新八居住地跡に建つビルで営業しているファミリーレストラン。
定休日 | なし |
営業時間 | 7:00~翌日2:00 |
住所 | 東京都文京区小石川1-17-1 エルアージュ小石川 2F |
アクセス | 三田線春日駅から徒歩7分 大江戸線春日駅から徒歩9分 |
関連サイト | ジョナサン小石川柳町店(食べログ) ジョナサン小石川柳町店(ぐるなび) |
バーミヤン小石川柳町店
永倉新八居住地跡に建つビルで営業している中華のファミリーレストラン。
定休日 | なし |
営業時間 | 10:00〜24:00 |
住所 | 東京都文京区小石川1-17-1 エルアージュ小石川 |
アクセス | 三田線春日駅から徒歩7分 大江戸線春日駅から徒歩9分 |
関連サイト | バーミヤン小石川柳町店(食べログ) バーミヤン小石川柳町店(ぐるなび) |
斎藤一居住地(金田一京介・春彦旧居跡の案内板)
明治7(1874)年、30歳の藤田五郎(斎藤一)は、会津藩士とともに入植していた斗南藩(青森県五戸)から東京に出てきます。
この時、生家の山口家の父や兄が住んでいた、「本郷真砂町23番地」(現・文京区本郷4-11)に住みます。
しばらくして現在の根津駅前にあった、斗南藩主(元会津藩主)松平家の私有地(会津藩士がたくさん住んでいました)に転居しています。
当時の山口家の建物は取り壊され、その後大正時代に建てられた家が残っています。
そこに後に言語学者・民俗学者の金田一京介・春彦父子が住んだため、「金田一京介・春彦旧居跡」の案内板があります。
藤田五郎(斎藤一)に関する案内はありません。
住所 | 東京都文京区本郷4-11-6 |
アクセス | 丸の内線本郷3丁目駅から徒歩8分 南北線後楽園駅から徒歩7分 |
斎藤一最期の地|何もなし
藤田五郎(斎藤一)が明治24(1891)年から大正4(1915)年に亡くなるまで、24年間住んだ場所です。
藤田五郎(斎藤一)の妻・時尾は、東京女子師範学校の寄宿舎の舎監として勤めていました。
明治24(1891)年、藤田五郎(斎藤一)が47歳の時、時尾が体調を崩して退職するのですが、同校教師に勧められ、自宅で寄宿舎を営むことにします。
この頃藤田五郎(斎藤一)も、警察の人員整理で警視庁をやめ、現在の文京区の湯島聖堂構内にあった博物館の看守(守衛長)として勤め始めました。
湯島聖堂にも通いやすいここ、「本郷真砂町30番地」(現在の文京区本郷4-14)の借家で寄宿舎を始めます。
大正4(1915)年9月28日、藤田五郎(斎藤一)は72歳でこの家で亡くなりました。
※斎藤一最期の地については、かつて歴史雑誌に掲載された階段、「新選組・斎藤一の謎」(赤間倭子著)による以前の通説、「斎藤一~新選組論考集」(三十一人会編)中の「藤田五郎の足跡」(あさくらゆう著)による最新の説があります。
歴史雑誌に掲載された階段が、ネット上では最期の地として出回っており、当サイトも最初のうち歴史雑誌を見てその場所を訪問したため、間違った情報を掲載していました。
以前の記事を見て訪問した方にお詫びし、訂正します。
現在は最新の説による区画付近と、目印になる錦秋女学校跡の案内板、以前の通説の場所の3か所を地図に載せています。
(歴史雑誌に掲載された階段から見て、春日通りを挟んだ向かいあたりの区画が最新の説による最期の地です)
住所 | 東京都文京区本郷1-35-28付近 |
アクセス | 丸の内線本郷3丁目駅から徒歩6分 南北線後楽園駅から徒歩6分 |
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本郷3丁目駅エリアの新選組ゆかりの地・観光スポット
本富士警察署(斎藤一勤務地)
藤田五郎(斎藤一)が勤務した、第四方面三分署・本郷警察署の場所です。
名前は変わりましたが、本富士警察署が今も建っています。
本富士警察署は何度も名前を変えており、明治8~14年は第四方面三分署という名前、明治14~43年は本郷警察署という名前でした。
藤田五郎(斎藤一)は、明治12年に第四方面三分署乙部にいたという記録があります。
また、明治24年にも古巣の本郷警察署(当時)に勤めてから、警察の人員整理で退職しています。
いずれも、今の本富士警察署と同じ場所でした。
住所 | 東京都文京区本郷7-1-7 |
アクセス | 大江戸線本郷三丁目駅から徒歩3分 丸の内線本郷三丁目駅から徒歩6分 |
茗荷谷駅・千石駅エリアの新選組ゆかりの地・観光スポット
新福寺(近藤勇や土方歳三が宿泊)
元治元年の隊士募集で近藤勇が江戸に帰った時、一時新福寺に泊まりました。
また、慶応元年と3年に土方歳三が隊士募集に江戸に帰った時も、一時新福時を使ったと思われます。
同行した隊士の宿泊や幕府関係者・入隊希望者との応接に試衛館が手狭だったため、新福寺を一時的に借りたのではないかと言われています。
土方歳三が江戸から京に戻った後、近藤勇が病気で上京できない新福寺住職について、宗派の本山である東本願寺に手紙を書き、その中で「自分は新福寺に寓住していた」という意味の説明をしています。
住所 | 東京都文京区白山3-1-23 |
アクセス | 丸の内線茗荷谷駅から徒歩12分 三田線白山駅から徒歩12分 |
山岡鉄舟・高橋泥舟旧居跡(近藤勇が訪問)|案内板
「維新の三舟」のうちの二人、山岡鉄舟と高橋泥舟が隣り合って住んでいた場所です。
近藤勇が浪士組に参加を表明した後の文久3年1月19日に、呼び出されて山岡鉄舟の自宅に行っています。
近藤勇はこのことを佐藤彦五郎にあてた手紙で「山岡鉄太郎廻状、十九日、拙者御呼び出しにあいなり候」と書いています。
廻状(回覧文書)という言葉から、他にも呼び出された浪士がいたようです。
現在は案内板が立っており、山岡鉄舟についての説明で「近藤勇らが参加し結成された浪士隊の取締役を幕府から命ぜられ」との説明があります。
実際の山岡鉄舟の屋敷は、案内板がある播磨坂の緑地帯から、道路上(当時はこの道路はなし)を経て小石川5丁目1の一部を含む付近と思われます。
さらにその西隣(鉄舟の屋敷を挟んで播磨坂の反対側)に、高橋泥舟が住んでいました。
浪士組を作った清河八郎が、京から戻ってから暗殺されるまで寄宿していた家でもあります。
また、清河八郎暗殺後、埋葬までの間、首を隠していた場所でもあります。
処静院住職の細谷琳瑞も、暗殺された夜、この山岡鉄舟の家を訪れており、帰り道で殺されました。
住所 | 文京区小石川4-22(案内板)~小石川5-1 |
アクセス | 丸の内線茗荷谷駅から徒歩8分 |
智香寺(田村銀之助の墓)
智香寺には12歳の新選組隊士・田村銀之助の墓があります。
田村銀之助は箱館戦争までついていき、榎本武揚付になって五稜郭にいました。
総攻撃で負傷した養父の春日左衛門の看護をし看取りましたが、遊撃隊の伊庭八郎も同室で亡くなったと証言しています。
五稜郭の降伏で謹慎後、陸軍士官として西南戦争にも行き、「史談会速記録」で当時の模様を語って貴重な資料を残しました。
住所 | 東京都文京区大塚3丁目28−12 |
アクセス | 丸の内線茗荷谷駅から徒歩8分 |
関連サイト | 浄土宗寺院紹介Navi「智香寺」 |
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護国寺駅エリアの新選組ゆかりの地・観光スポット
護国寺(谷口四郎兵衛の墓)|御朱印あり
護国寺共葬墓地に、新選組隊士・谷口四郎兵衛の墓があります。
護国寺共葬墓地は、護国寺墓地とは違って敷地の西の端で、首都高速5号池袋線の高架や小篠坂に沿った場所にあります。
谷口四郎兵衛の墓は、小篠坂に沿った墓地の一番外側(西)の道沿いにあります。
谷口四郎兵衛は幕府軍側の桑名藩士で、仙台で新選組に入り、箱館まで転戦します。
土方歳三が救援に行こうとしていた弁天台場で戦い、5月11日の戦闘で肩に銃創を負います。
病院送りになるうちに箱館戦争が終わって謹慎しています。
明治には藤田五郎(斎藤一)と同じく警視庁に所属し、西南戦争にも行っています。
護国寺には御朱印もあります。
また、大隈重信や三条実美、山形有朋などの墓もあります。
住所 | 東京都文京区大塚5丁目40-1 |
アクセス | 有楽町線護国寺駅から徒歩11分 |
公式サイト | 護国寺公式サイト |
根津駅エリアの新選組ゆかりの地・観光スポット
斎藤一居住地(現・珈琲館など)|何もなし
明治7(1874)年頃~11(1878)年頃まで(30歳頃~34歳頃)、藤田五郎(斎藤一)が暮らした場所。
現在は住宅街で、案内板も何もありません。
「根津宮永町31番地」(現在の根津2丁目7~8番地、6番地の半分)は旧斗南藩主の松平容大の私有地で、たくさんの旧会津藩士がこの土地で暮らしていました。
藤田五郎(斎藤一)はここに住んでいる時に、高木時尾と結婚し、長男の勉が生まれ、西南戦争にも出征しています。
住所 | 東京都文京区根津2丁目6、7、8番地 |
アクセス | 千代田線根津駅から徒歩3分 |
珈琲館根津店
藤田五郎(斎藤一)が住んでいた松平家の所有地跡で営業している珈琲店。
※「珈琲館根津駅前店」とは別店舗です。
定休日 | なし |
営業時間 | 土 7:30~20:00(L.O.19:00) 日・祝 7:30~19:00 月~金 7:00~20:00(L.O.19:00) |
住所 | 東京都文京区根津2-6-5 マインハイム根津 1F |
アクセス | 千代田線根津駅から徒歩1分 |
関連サイト | 珈琲館根津店(食べログ) 珈琲館根津店(ぐるなび) |
やきとり楽聞
藤田五郎(斎藤一)が住んでいた松平家の所有地跡で営業している焼き鳥居酒屋。
定休日 | 月曜日 (不定休あり) |
営業時間 | 火〜木 18:00~24:00 金〜日、祝 17:00~23:30 売り切れ次第終了 ランチ(うどんのみ) 12:00〜14:00 |
住所 | 東京都文京区根津2-6-6 |
アクセス | 千代田線根津駅から徒歩1分 |
関連サイト | やきとり楽聞 (食べログ) やきとり楽聞 (ホットペッパー) |
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御茶ノ水駅エリアの新選組ゆかりの地・観光スポット
湯島聖堂(斎藤一が勤務)・昌平坂学問所跡(大野右仲が学ぶ)|御朱印あり
藤田五郎(斎藤一)は警視庁の人員整理で、明治24(1891)年4月、47歳の時に東京高等師範学校附属東京教育博物館の看守(守衛長)として働き始めます。
東京高等師範学校は現在の東京医科歯科大学の敷地にあり、附属博物館はその隣、現在の湯島聖堂の敷地内にありました。
仰高門の左脇に門衛(守衛の詰め所)があり、そこに勤めたと言われています。
仰高門は関東大震災で燃えてしまいましたが、門衛は再建された門にもあります。
また、新選組隊士・大野右仲は若い頃、湯島聖堂と同じ構内(現在の東京医科歯科大学)にあった昌平坂学問所で学び、学友の高杉晋作と親しくしていました。
史跡ですが御朱印もあり。
住所 | 東京都文京区湯島1-4-25 |
アクセス | JR御茶ノ水駅聖橋口から徒歩6分 |
公式サイト | 湯島聖堂公式サイト |
藤堂秉之丞屋敷跡(藤堂平助の父親説あり)|何もなし
藤堂平助は身分ある父親の正妻以外の女性との子供で、父親には伊勢津藩主・藤堂高猷(とうどうたかゆき)説と、旗本の藤堂秉之丞(とうどうへいのじょう)説があります。
新選組を預かった会津松平家が編纂した「維新階梯雑誌」では、
「平之丞妾腹惣領ノ由 江戸 藤堂平助 十九才」
(出典元:維新階梯雑誌)
となっています。
「平之丞の妾腹の長男」という意味で、平之丞というのが湯島の旗本・藤堂秉之丞(とうどうへいのじょう)のことです。
この藤堂平助の父親(候補)、藤堂秉之丞の屋敷跡は、現在の東京医科歯科大学の裏手にあります。
案内板も何もありません。
住所 | 文京区湯島1丁目8-2~1丁目9 |
アクセス | メトロ御茶ノ水駅から徒歩5分 JR御茶ノ水駅から徒歩6分 |
チキン&ワイン月光食堂
藤堂平助の父親説がある、藤堂秉之丞屋敷跡で営業している古民家を使った和食ビストロ。ワインバーもあります。ネット予約可能。
定休日 | 年中無休 |
営業時間 | 17:00~23:30 (L.O.22:30、ドリンクL.O.23:00) |
住所 | 東京都文京区湯島1-9-13 |
アクセス | JR御茶ノ水駅から徒歩6分 |
関連サイト | ネット予約可能 チキン&ワイン月光食堂(食べログ) チキン&ワイン月光食堂(ぐるなび) チキン&ワイン月光食堂(ホットペッパー) |
アイキッチン 御茶ノ水店
藤堂平助の父親説がある、藤堂秉之丞屋敷跡で営業しているインド料理店。
ネット予約可能。
定休日 | なし |
営業時間 | 11:00~15:00 (L.O. 15:00) 17:00~23:30 (L.O. 22:30) |
住所 | 東京都文京区湯島1-9-10 湯島ビル 1F |
アクセス | JR御茶ノ水駅から徒歩6分 |
関連サイト | ネット予約可能 アイキッチン 御茶ノ水店(ホットペッパー) アイキッチン 御茶ノ水店(食べログ) |
お茶の水 小川軒
藤堂平助の父親説がある、藤堂秉之丞屋敷跡で営業している洋食店(地下)と洋菓子店・カフェ(1階)。
定休日 | 日曜・祝日 |
営業時間 | レストラン(地下) ランチ 11:30~14:00 土曜ランチ12:00~14:00 ディナー 17:30~20:00 洋菓子販売(1F) 10:30~17:00 土曜11:00~17:00 カフェ(1F) 11:30~17:00 |
住所 | 東京都文京区湯島1-9-3 ユーメリアビル B1F~1F |
アクセス | JR御茶ノ水駅から徒歩6分 |
関連サイト | お茶の水小川軒(食べログ) お茶の水小川軒(ぐるなび) |