出羽公園には、近藤勇が「綾なる流れに藤の花にほう わが生涯に悔はなし」と歌を詠んだゆかりの藤が移植されています。
4月中旬から5月上旬が見頃です。
流山から板橋に向かう途中に休憩に寄った、関根家(よしずや)の藤で、河川改修で出羽公園に移植されました。
出羽公園のアクセス・基本情報
出羽公園のアクセス・基本情報
住所 | 埼玉県越谷市4-222 |
アクセス | 東武線新越谷駅西口から「七左七丁目」行バス乗車、「七左七丁目」バス停下車徒歩6分 |
駐車場 | あり |
出羽公園の地図
出羽公園と近藤勇ゆかりの藤
近藤勇が藤を見て歌を詠んだ経緯
慶応4年4月3日、近藤勇は「大久保大和」として流山で出頭に応じます。
まず越谷宿に出頭しますが、近藤勇ではないかと疑いを持たれていたため、総督府がある板橋宿に行くよう言われます。
慶応4年4月4日、越谷宿から板橋宿に向かう途中、綾瀬川にかかる一の橋のたもとにあった川魚料理屋「よしずや」(関根家)で休憩しました。
その時、よしずやに江戸時代初期からあった藤の見事さに感嘆し、歌を詠みました。
その歌をよしずやの主人が聞いていて、のちに書き留めています。
「綾なる流れに藤の花にほう わが生涯に悔はなし」
これが近藤勇が藤を見て詠んだ歌と伝わっています。
よしずやでは、この藤を大切にしていましたが、河川改修のため、平成3年に越谷市内の出羽公園に移植されました。
Sponsored Links
近藤勇が見たのはいつの時期の藤なの?
旧暦と新暦は、その年によってだいぶ日付にズレがあります。
旧暦と新暦の出来事の対照表は次の通り。
旧暦 | 新暦 | |
---|---|---|
流山出頭 | 慶応4年4月3日 | 1868年4月25日 |
よしずや休憩 | 慶応4年4月4日 | 1868年4月26日 |
板橋命日 | 慶応4年4月25日 | 1868年5月17日 |
近藤勇がよしずやで藤を見て歌を詠んだ
「旧暦:慶応4年4月4日」
は、
「新暦:1868年4月26日」
です。
4月下旬に見に行けば、近藤勇が見たのと同時期の藤を見ることができます。
(※咲き具合はその年の気候により異なります)
Sponsored Links
現代に残る近藤勇ゆかりの「弁天の藤」
よしずやの藤は、出羽公園の池のほとりに移植されています。
近藤勇関連の案内はありませんが、案内板に「関根良男様より寄贈を受け」とあり、この方がよしずや主人(関根家)のご子孫になります。
よしずやの藤は綾瀬川のほとりにありました。
ここでは人口の池ですが、水辺にあるのは同じ。
藤を見ながら、歌を詠んだ近藤勇の心境に思いを馳せてみるのもいいですね。
出羽公園周辺の新選組観光スポット・ゆかりの地
よしずや跡|何もなし
藤が移植される前にあった場所で、綾瀬川にかかる一の橋のたもと。
案内板も何もありませんが、近代的な「よしずや」という看板のある建物があり、場所がわかります。
富田屋跡(会田金物店)|外観のみ
流山から越谷宿に出頭した近藤勇が、名主の富田屋・堀伊左衛門方に泊まったという伝承があります。その富田屋の跡。現在は金物店になっています。
建物はトタンで補強されていますが、瓦屋根や二階部分などに当時の面影があります。
見られるのは外観だけなので、お店の営業の邪魔をしないようにしましょう。